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海野久実が掌編小説やら短編小説を書いています。タイトルの後に原稿用紙換算の(枚数)があるのが小説です。


by marinegumi
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百円玉  (5枚)

ある夏の日、その事を突然思い出し、気が付くと電車に揺られていた自分自身に
「おい、まじかよ?」と小さく呟いていた。

5時間もかけて、十数年ぶりにたどり着いたその街の様子は、すっかり変わっていて、どっちへ向かって歩きだせばいいのか、一瞬迷ってしまったぐらいだった。
とりあえず、むかし通っていた大学の正門までたどり着いた。
ここから、自分が住んでいた下宿までの道のりがなかなか思い出せなかった。
いや、思い出せはする。
その記憶と現実が、あまりに違ってしまっているのだ。
大きな古い建物を探し探し歩き出したが、すぐに立往生してしまう。

道のりを、始めからたどり直す事を何度かくりかえして、やっと見つけたその場所。

それは、大学時代の僕の下宿の近くの小さな食料品店だった。
建物も一部新しくなっていたが、ちゃんとまだそこにあった事にホッとしていた。
店の名前も、覚えていた。
店先のテントも、そこに書かれた店の名前の文字も、新しくしゃれた感じになっていた。
左側に並んでいる自動販売機は当時のまま、3台だった。
でも、当然、機械は全部入れ替わっている。

あの夏の日を思い出していた。
君と二人で立ち寄ったこの自動販売機の前。

裏側をそっと覗きこむ。
日差しに慣れた目がだんだん薄暗がりに慣れてくるとそれは見えてきた。
自動販売機の裏側の、食料品店と隣の建物の間に君が落としてしまい、あきらめたあの百円玉がコンクリートの隙間にまだ残っていた。
半分泥にうずまった、変色した百円玉がそこにあった。

その瞬間、君の髪の香りを、ありありと思い出した。

あの時、君が拾おうとして手が届かず、僕に「替ってよ」と言ったね。
入れ替わる時に、君の髪が僕の鼻先をかすめた。
その時の君の髪の香りを、今さっきの事のようにありありと思い出していた。

このためだけに5時間もかけてここまで来る自分を、ばかばかしく思っていたが、その気持はもうなくなっていた。

ふいに肩をたたかれた。
振り返ると君の笑顔があった。
あの時と少しも変わらない君の笑顔が。

そんな場面を想像した。
しばらく歩き出せなかった。
肩をたたかれるのを僕は待っていたのかもしれない。

持っていた1枚の百円玉を、君の百円玉のそばにポンと投げて、2枚の百円玉の位置を確認すると僕は歩きだしていた。





ツイッター小説8本目です。

(原文)
突然思い出した。気が付くと電車に乗っていた。5時間かけてたどり着いたその街の様子は、すっかり変わっていた。なんとか見つけたその場所。大学時代の僕の下宿の近くの自動販売機は機械も全部入れ替わっていたが、君が落としてしまい、あきらめたあの百円玉がまだコンクリートの隙間に残っていたよ。


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by marinegumi | 2010-09-26 23:55 | 掌編小説(新作) | Comments(0)