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継承  (25枚)

リュウが目を覚まして外を見ると雨が降っていた。
濃い灰色の空からの冷たい雨は風にあおられて、バラバラと窓を叩いていた。
「仕事」に出かけるには最低のコンディションだった。
しかしリュウは雨に対して、いやな感情は持っていなかった。
核戦争で荒廃し、汚染された地球を長い長い年月をかけて浄化してくれたのは、この雨なのだから。

背後で衣擦れの音がした。
ふり向くとルネが毛布にくるまったままリュウを見つめていた。
「行って来るよ」
と、声をかけると小さくうなづいた。
最近はやっと止める事をしなくなったが、以前は泣いて行かないでくれと困らせたものだった。
でも決して、リュウが行くのを止めたい気持に、変わりはないはずだ。

リュウは着替えを済ませると、腰のベルトに昨日の晩に手入れをした剣を差した。
フード付きの上着にそでを通し、大きなリュックを背負った。
ドアを開けると雨が降り込んで来て、暖かだった部屋が瞬く間に冷気に満たされてしまった。
「気をつけてね!」
ルネは黙っているのに耐えられなくなった様にリュウの背中にそう叫んだ。

ドアを出るとすぐその山が目に入ってくる。
殆んどの植物が緑色である事をやめ、山全体をどす黒く覆い尽くしていた。
うす暗い空の下の、暗闇その物のような山。
それはリュウを呼んでいた。
リュウ自身にはどうする事も出来ない強迫観念のようなものに急かされて、また今度もその山に登ろうとしていた。
決して登りたいのではない。
しかしその「仕事」のために登らなければならないのだった。
「仕事」を続けるのには明確な理由はなかった。
なぜかあの山に登ってそれをやり遂げないと、とんでもない事が起きる。
言ってみればそんな気がすると言うだけの事だ。

リュウの父親が40歳で寿命を全うして死んだ時から、その「仕事」はリュウに受け継がれた。
普段はやせた土地にわずかの農作物を自分たちが生きて行くだけのために作り、ある特定の日だけにその「仕事」のために山に登る。
危険極まりないあの山の頂上へ。
リュウの家族は、そういう使命を代々背負わされた家族なのだった。

山のふもとの、まだ勾配がゆるやかなあたりでもすでに山の一部だ。
足を踏み入れた途端に雰囲気が一変する。
降り続いている雨は少し粘性を増したように感じられ、空気にも人を不安に陥れるような独特の獣っぽい臭いが漂う。

行く手の左側の土壌が雨に洗われ、核戦争前の植物の地下茎がむき出しになっている場所がある。
そこは地下茎によって支えられた入り組んだ地下の迷路になっていた。
得体の知れないものが棲みつき、夜な夜な這いだして来て、獲物をあさりまわるのだ。
リュウも一度だけ子犬が、何か黒っぽい動く塊にとらえられ、その棲家へと引きずり込まれるのを見た事があった。
噂では人間の子供が犠牲になる事も少なくはなかった。

その時、ぬかるんだ地中から黒い手が伸び、リュウの足首をつかんだ。
リュウは素早い身のこなしで剣を抜き、その手を手首から見事に切り落とした。
わずかに自分の靴の先と一緒に。
一瞬、地下に潜んだ何者かと眼が合った。
手も、その目も人間に似てはいたが、もはや人間であることをやめた醜悪な生物の物だった。
昔は地上高く葉を茂らせていただろうその植物の地下茎は勢力を伸ばし、この登山道の下にまで広がって来て、それと共に怪物たちの棲家も広がっているのだ。

しばらく歩くとかなり最近まで、巨大な樹がそびえていた場所までやってきた。
その樹はどんなに気候が悪い時にも変わらずに、大きな甘い実を年中実らせた。
食べ物が少なくなると、人間はもとより、異形の者たちもその実を目指して集まって来た。
不作が数年続いた時にその実は採り尽くされ、あくる年には枯れ、二度と実をつける事は無くなった。
そして今はその直径8メートルほどの根の跡が大きな穴になって残っていた。
穴には水がたまりいつからかそこにも奇怪な生物が棲みついていた。
小型だったが、多くは毒を持っていたので危険だった。

山頂までの行程で一番恐れられている場所、黒の洞窟が見えて来た。
その洞窟の前を通らずには進む事は出来なかった。
前回は何もなくあっさりと通る事が出来たのだがそんな時ばかりではない。
その前は、その前は、と記憶をたどって行くと、左手の中指がズキンと痛んだ。
今はすでに失ってしまった、痛むはずのない中指が。
そう、この洞窟に潜むあいつに持って行かれたのだ。
それは人間の変異した物ではなかった。
もっと巨大な邪悪な存在だった。

しばらくはどうしても洞窟の入り口へ向かって歩く事になる。
その間に洞窟の怪物は十分に獲物を吟味して、狙い定める事が出来るというわけだ。
リュウは、そこに潜む怪物があの怪物と同じ奴かどうか判断しかねていた。
あの日リュウは剣の手応えで、薬指と引き換えにそいつの命を確実に絶ったと思ったのだが、時間と共にその自信は揺らいだ。
また、あの時と同じ奴ならリュウを敬遠しようとするだろうか?
それとも復讐心に燃えて今度こそリュウを、そのすべてを物にしようと待ち構えているのだろうか。

リュウは剣を抜いて構えたまま進んで行った。
前回来たのは3週間ほど前だった。
その時には奴は姿を現さなかったが、何者かの気配をいやと言うほど感じた。
リュウは洞窟を目指して小走りになった。
どうせなら早く終わらせたかったのだ。
そしてあっけなく通り過ぎた。
後ろ向きで洞窟を気にしながら道を進んでいった。

間もなく小さな縦穴がある。
いつも水がたまっている小さな、岩に穿たれた穴。
そこには何も棲んでいないはずだった。
そっと覗き込むと、意外な事に水がたまっていなかった。
こんなに雨が降っているのに、穴はぽっかりと口を開けて、流れ込む雨を受け入れていた。
その時、ごぼごぼっという不気味な音と共にそれは姿を現した。
リュウの左手の中指を物にしたそいつは、油断して穴を覗き込む彼の首に触手を巻きつけた。
とっさにリュウはそばに落ちていた木の枝をつかんでいた。
縦穴に引き込まれかけたリュウはその枝が竪穴の外側にしっかりかかっているのを確かめると剣を抜き、振り払えないので縦にざっくりと触手を切り裂いた。
枝に両腕で体を引き上げ、穴の外に飛び出した。
リュウはリュックをおろすと中からガソリンの缶を取り出し、その穴へ中身をありったけ注いだ。
そして雨を体で遮りながらライターでガソリンを染み込ませたぼろ切れに火をつけ、竪穴に放り込む。
ドン!と言う音とともに穴の奥の方で火の手が上がる。
「そうか、そういう事だったのか」
と呟きながらリュウは先ほどの洞窟まで引き返し穴の上によじ登って待った。
間もなくその怪物は、体の一部に炎をまとい、洞窟から姿を現した。
怪物はいつの間にか、この洞窟からあの縦穴まで通路を掘っていたのだった。
全身を現した怪物はたくさんの触手を持つ巨大なハダカネズミと言った所だった。
触手は10本以上ありその何本かが短く切断されていた。
そのうち1本はずっと前にリュウが切り落とした物、もう1本がさっき切り落としたばかりで、オレンジ色の血を滴らせていた。
リュウは飛びおりながら迫ってくる触手に目もくれず、その本体の頭部めがけて剣を振り降ろした。
低いけれど、ネズミに間違いない鳴き声をあげてそれは崩れ落ちた。
痙攣するそれは悪臭を放ち、雨の中、湯気を上げながら次第に静かになって行った。

岩場に差し掛かると道のりは半ばだったが、あの怪物を殺した今となってはもう頂上へ着いたも同然だった。
この岩場では、上の方から何者かに岩を落され危うく転落しそうになった事があり、もちろん油断はしなかった。
ずっと登りだった道がわずかに下り坂になる。
ここは以前、鬱蒼と木々が茂っていたが、山火事ですっかり焼けてしまい、その後新しい木が生えてくる様子がなかった。

巨大な水晶が輝く谷を見下ろした時、やっと気持ちが緩んだ。
頂上はすぐそこなのだ。
いつの間にか雨は止んでいた。
そして曇り空にぽっかりと小さな湖のような青空が見えると、少しづつ広がって行った。
リュウは頂上にあるステンレスのポールの下へ座り込むとリュックを降ろし、中からサンドイッチを取り出して食べた。
さらにビニールに包まれた布を取り出して広げると、ポールから下がっているロープに結び付けたのだった。
ロープを引いて行くとその布切れは一度大きくバサッと音を立てて風になびきながら上がって行った。
黄色く変色しているが、元々は真白な布だったに違いないそれの真ん中には、これも色あせて殆んど色の残っていない赤い丸が染められていたのだ。
それを掲げるのは今日一日だけだ。
危険な道をもう一度引き返して、またこの旗を取りに来るという事はしない。
あのハダカネズミの化け物以外にどんな危険が潜んでいるかも知れないからだ。
リュウはあすの朝までここで過ごすことにしていた。
夜が一番危険だったので、リュックにはチタン製の組み立て式野宿カプセルを持って来ていた。
これは崩壊した街へ行ったときに拾ったものだ。
これを壊してまで、リュウを傷付ける事はどんな奴にもできないだろう。

その「日の丸」の旗は、まだまだ青空よりも雲の多い空に気持ち良くはためいていた。

こんな布切れを一枚風にはためかせるだけのためにあれほどの危険を冒してまでこの山にやって来なければならないのはなぜなんだろう?
リュウは何人もの親族が、この「仕事」のために命を落としたのを聞いていた。
誰も「仕事」の意味をちゃんと説明できる者はいなかった。
自分が「仕事」を始めてから、その事について何度も考えたが、今ではこれを「おまじない」だと思うようになった。
世界に良くない事が起こらないように。
十分良くない事だらけだが、これ以上悪くならないように願をかけているんだと思っていた。
そう思うともうやめるのが怖くなった。
やめる訳には行かないと思い込むようになった。
永遠に。

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「お父さん何ですか?こんなに朝早く」
「あ、ごめんごめん、起こしてしまったね」
啓一はパジャマから服に着替えながら妙子にほほ笑んだ。
「今日は文化の日だからね」
「そうだったわね。行ってらっしゃいませ」
妙子の普段は使わない馬鹿丁寧な言葉に啓一はふと笑顔になる。
妙子は布団を鼻の下まで引き上げて、向こう側へ寝返りを打った。

啓一がその「仕事」を引き受けてからもう十年は過ぎただろうか。
「仕事」と言っても、ボランティアだが。
祝祭日限定で、日の丸の旗を宮山(みややま)という小高い山の頂上の掲揚ポールに揚げに行くというそれだけの「仕事」だった。
今は亡くなってしまったが、当時の町内会長に頼まれてから、旗日には必ずその「仕事」を果たして来た。
啓一の町内では、定年で退職後の男性は、殆んどが働き口を見つけて仕事を持っている。
仕事を持っていず、足腰が丈夫という条件を満たしたのが啓一だったと言うわけだ。

「子供のころはよく登ったもんだな」
と、いつものように当時を思い出しながら家を出て、宮山を見上げた。
手には国旗の入った箱を持っている。
子供の足でも20分もあれば頂上まで行ける。
頂上手前あたりで、小さいけれど水晶が採れるのでそれを目当てに登ったのだ。
子供の足とは言うが、今、自分の足では30分かかっているのを思い出して啓一は苦笑いをした。

空はよく晴れていた。
登り始めは肌寒かったが、少し汗ばんで来た時には道のりの半分まで来ていた。
途中の岩場で一休みをして、再び登り始める。
この登山と言うほどでもない道程には子供には面白い場所がいくつかあった。
竹藪があり、甘い実のなるあけびの木があり、子供でもとても入れない小さな洞窟や、縦穴もあった。
この縦穴は今は金網でふさがれているが、当時は安全のための物は何もなく、子供心にも近づくのが不安だった。
誰かが落ちて死んだと言うもっともらしい噂を口にする友人がいたが、大人になってからいろんな人に聞いてもそんな事実はなかったようだ。
一休みした岩場は花崗岩がむき出しになっている場所で、表面はすべりにくく、その上を無謀にも走ったりしていたが不思議に転んだ経験はなかった。
頂上まであと3分の1ぐらいの所にはわずかの下り坂があり、そこは木々のトンネルになっている。
ツタ植物が垂れ下がり、それにぶら下がって遊んだ。
頂上の手前には、その水晶の採れる小さな谷があり、後ろ向きに降りながら血眼で友人達と水晶を採る競争をしたものだった。

頂上には岩場に穿たれた穴にポールをコンクリートで固定した旗の掲揚台がある。
これに取り付けてあるロープも子供の遊びの道具だった。
これには苦い思い出があった。
ぶら下がってポールに足をかけて登りかけて靴が滑り、思いきりポールに鼻を打ちつけて鼻血を出したのだ。
そのロープも、もう当時の物ではなく、何度か取り換えられていた。
啓一は国旗の入った箱を開けた。
ロープにくくりつけ、途中で引っかからないように注意してロープを引くと、一度ふわっとひるがえり、風になびいた。
一番上まで引き上げ、ロープを固定して「仕事」は完了だ。
11月3日文化の日、秋の澄み渡った青空に、日の丸はくっきりと気持ち良くはためいていた。
啓一はその時には夢にも思っていなかった。
宮山のふもとに住んでいる自分の末裔たちが代々この「仕事」を続けていく事になるのを。

「さて、今月はもう一回、23日だな」
そう言うと啓一は山を降り始めた。
下りはずっと早く、15分もかからないだろう。





                  おわり





今日は文化の日ですよー(勤労感謝の日と間違ってまして、小説本文も修正しました)
今朝、山の上にある日の丸を見て、この話を思いつきました。
こちらではその山の頂上に祝祭日は必ず日の丸が揚がっているんですね。
誰が揚げに行ってるんだろうと時々思っていましたが、それからこんな話を思いつくとは。
即書き上げて、即アップ‥と言っても、もう夜ですが。
新作も新作、とれたてですね。

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by marinegumi | 2010-11-03 19:24 | 短編小説(新作) | Comments(0)