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僕だけの菜摘  (19枚)

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僕が菜摘(なつみ)にさよならを言われた日から、世界は変わってしまった。
街は現実感がなく、そこを歩いていても僕はそこにいないような気がした。
テレビを見ていても、ニュースで流れる出来事はどこか他の惑星の出来事のように思えた。
会社で働いている時には、僕じゃない誰かが僕の代わりに、僕の仕事を片付けてくれているようにしか思えなかった。
友達は「たかが失恋だろ?」と笑い飛ばすだけだった。
「失恋なんて一生の間に数えきれないほどするのが当り前さ」と。
友達のその声もどこか遠くで聞こえる意味不明な言葉だった。

街には出かけなくなった。
テレビなんかも見なくなった。
会社も休み始めて三日が過ぎた。
友達とは連絡をしなくなった。

そしてアパートの自分の部屋に閉じこもっている事が多くなった。

改めて自分の部屋を隅々まで観察してみた。
何もする気がせず、時間は有り余るほどあったのだ。
天井に張られたボードの模様を見て、初めてそんなデザインだった事に気がついた。
ベランダの掃き出しの窓のカーテンのカーテンレールと、西側の窓のカーテンレールの色が違っている事にも気がついた。
部屋の白壁には、セロファンテープの跡があちこちに残っていた。
それは部屋中に貼っていた色んなポスターの跡だった。
あの日以来、僕の部屋には、きらびやかなポスターの中の世界がとても似つかわしくなく思えて、全部はがしてしまったのだ。
僕はそんな白壁のテープ跡も、ほんの小さな汚れも、すっかりきれいにした。
ポスターどころか、いっそ何もない真っ白な壁がいいと思ったんだ。

そんな真っ白な壁を見ながら暮らしていたある日、ぼくは目の前を漂うゴミの様な物を見つけた。
白い壁を背景にふわりふわりと漂う、糸くずのような浮遊物。
思わず手を伸ばしてつかもうとした。
でもつかめない。
視線を右に動かせばその糸くずは右に動き、左に動かせば左に動く。
眼球を動かさずにじっと前を見ていると、重力でゆっくりと下の方へ移動した。
その糸くずは、目の中にある物だという事にすぐに気がついた。
丸い眼球を満たす硝子体の中を、それは漂っているのだった。
病院へ行った方がいいのか?
一瞬そう思ったが、まずネットで調べてみることにした。

「目の中のゴミ」「眼球内の浮遊物」などで調べて行くと、それは「飛蚊症(ひぶんしょう)」と言うのだという事が解った。
目の前を「蚊」が飛んでいるように見えるから付けられた症状名らしい。
おおざっぱに判った事は、活性酸素と言う、よく聞く物が関係しているらしい。
活性酸素の影響で、眼球の中の液体の硝子体に変化が起きて、言ってみれば水あかみたいなものが出来る。
「多くの場合生理的なもので、病的なものでない限り放っておいても問題はない‥、と言う事かー」
パソコンの画面を見ながら僕はそう口に出していた。
ふと、おかしくなってくすっと笑ってしまった。
久しぶりに自分の声を聞いたからだ。
そう言えば、この何日間は、独り言さえ言わなかったのだ。

壁のポスター類をすべて取っ払い、白一色になった壁を背景にすると、その目の中のゴミはよく見えた。
見方によっては、驚くほどくっきりとピントが合って見える。
目の中にある物がなんでそんなにはっきり見えるんだろう。
ぼやけて見えるのが当たり前のような気がするのだが。
そのゴミを注意深く観察すると、それは糸くず状に見えてはいるが、そうではない事が解った。
どうも平たい透明な不規則な形をした板状をしているようなのだ。
その板状の縁の形が糸くずのように見えているのだった。
ゴミは右目に一つ、左目に殆んど気がつかないほど小さいのが二つあった。

僕はその目の中のゴミで、遊ぶ事を覚えた。
眼球の動かし方で、ゴミはかなり思うような位置に持ってくる事が出来た。
すばやく眼球を動かせば吹き荒れる嵐の中で弄ばれるように動くゴミ。
微妙に細かく動かすことで、そのゴミをくるくると回転させる。
そう、いびつな小惑星が自転しているように。

そんな事をしながら何日も日は過ぎて行った。
そして、ある日驚くべき事に気がついた。
そのゴミを、眼球を動かすことによってではなく、動かせる事に気がついたのだ。
眼球は動かしていないのにそのゴミが思った位置に来るようになったのだ。
つまり、考えただけでそのゴミを動かせるようになっていた。
「超能力」という言葉が浮かんだ。
そんな馬鹿なと思ったが、意志の力で動かせるとしたら「超能力」と言うしか言葉がなかった。

「目は脳の一部だ」という言葉を聞いた事がある。
「脳の一部が外界にむき出しになっている所、それが目だ」というのだ。
脳に少しでも超能力、(この場合はテレキネシスと言うのだろうか)そう言う物があるとすれば脳に一番近い、目の中のゴミぐらいはごく弱い能力でも動かせるのではないだろうか?
とてもテーブルの上のコインなど動かせなくても、それぐらいは出来てもいいような気がした。
そして実際に出来ているのだ。

動かせるだけではなく、それの形を変えることもできた。
頭で考えてそのゴミを「へ」の字に曲げたり。「し」の字に曲げたり出来た。
そして何日か後には、そのゴミを分割する事を覚えた。
一つのゴミを細かくちぎってしまい、それを並べて蟻の行列のように目の中でぐるぐる走らせたりもした。
そんな小さなゴミを並べて文字を作った。
文字を作る事を覚えて、初めて作ったのは「ナツミ」だった。
菜摘。
いまだに忘れられない事に気がついた、君の名前だったよ。

部屋のソファーに身を預けて白壁を見ながら目の中のゴミで遊んでいる僕。
ナツミ、なつみ、君の名前で遊んでいるんだ。
意志の力で部品を並べて「ナツミ」の文字を作っては壊し、自分の名前を作っては壊し。
そうするうちに、今度は君の顔を作ってみようと思い付いた。

最初はごく簡単な落書きのような似顔絵だった。
輪郭に目、鼻、眉毛、そして一本の線の口。
この口をほほ笑むように曲げて動かしたり、怒ったようにへの字にしたり、本当の君が僕に見せたいろんな表情をその似顔絵にさせようとした。
とても菜摘には似ていなかったが、そう思い込む事で、それはちゃんと菜摘だった。
そのうちに、だんだん慣れてくると、かなり思った通りに似顔絵が作れるようになった。
輪郭だけだった顔には髪の毛を描き、目はちゃんと瞳があり、1本の線だった口は楕円になり、閉じたり開いたり出来るように作った。

目の中のゴミをもう自由自在に操れるようになると、今度は菜摘の顔だけではなく体全体を作ってみたくなり、そうするともう作るための材料がない事に気がついた。
そこで僕は、眼球の内側の細胞をはがす事を覚えた。
水晶体を通った光が像を結ぶ網膜の部分をなるべく避けて、視力を保つために関係のないところの細胞を意志の力で削って、菜摘を作る材料にした。
もともと大きなゴミが浮遊していたのは右目で、似顔絵を作っていたのも右目だけだったが、自分で材料を用意する事が出来るようになると、左目にも何かが作れるんだと気がついた。

僕はそれから3日かかって一睡もせずに菜摘を組み立てた。
右目と左目にそれぞれちょっと角度を変えて、菜摘の全身を細かく細かく再現したのだ。
両目に菜摘を作る事で、これまで平板だった菜摘が立体に見えるようになった。
まるで本当の菜摘がそこにいるように。
ただ、まだモノクロで半透明な体を持つ菜摘。
僕の目の中の硝子体の海に浮かんだ菜摘は、僕に微笑みかける。
くるくる回って、はしゃぐ菜摘。
想い出の場所の話をすると、そうだったわねと相槌を打ってくれる菜摘。
僕だけの菜摘がそこにいたんだ。

それから僕はさらに2日間眠れなかった。
眠ってしまうと目の中の菜摘が、ばらばらに分解してしまうのを恐れたんだ。
起きている間は意志の力でその形を保ってはいるが僕が眠ってしまうと、そうなるのではないかと心配したのだ。
ここまで時間をかけて細かく作り上げた菜摘を失うのが怖かったのだ。
しかし、さすがに6日目になるとどうしようもなくなり、気がつかないうちに眠ってしまった。

目を覚まして眠ってしまった事に気がついた。
ほぼ24時間眠ってしまっていた。
すぐに菜摘を探した。
菜摘は、ばらばらにはなってはいなかった。
眼球の中、下の方に沈んで横たわっていた。
そう、菜摘も僕と一緒に、ちゃんと眠っていたんだ。
目を覚ました菜摘は僕に微笑んで、口は「おはよう」の形に動いた。

菜摘は裸だった。
僕の目の水槽の中で、いつも寒そうだった。
菜摘に服を作ってやりたいと思ったが、もう最小限の視力を保つための網膜を残して眼球の内側の材料は使い果たしていた。
ごめんね菜摘。

チャイムが鳴った。
玄関へ出て行くと友人が立っていた。
僕が菜摘に別れを告げられた事を「たかが失恋」と言った奴だ。
「どうしたんだ。会社にも出て来ないで。みんな心配しているぞ」
そう言うと僕の目をのぞき込んだ。
僕は一瞬ドキッとした。
目の中にいる菜摘を見つけられたかもしれないと思ったからだ。
でもそんな事はなかった。
「会社、どうする気だ?」と続けた。
「わかってる。近いうちに出て行くからそう言っといてくれ」
と言って友人を追い返した。

僕は久しぶりに出かけることにした。
さっき、友人の肩越しに見た屋外は、よく晴れていて温かそうだった。
あの日差しの中に出れば菜摘もきっと温かいだろうと思ったんだ。

外へ出てみて、初めて自分の視野が思った以上に狭くなっているのに気がついた。
部屋を出るときにけつまづいたり、肩をドアにぶつけたりした。
菜摘のために網膜細胞を、ちょっと使い過ぎてしまったのかも知れない。
でも、行こうとしている公園までの道は歩き慣れた道だった。
目の中では菜摘も楽しそうにしている。
久しぶりのデートをしている気分だった。
いつも公園へ行く時は少しでも早く着くように、信号のある交差点まで歩くのを避けて、かなり手前で道路を横断する。
今日も同じようにそこで横断しようとして道路に一歩足を踏み出した。
クラクションとブレーキの音が聞こえた時に、いつもなら見えていたはずの道路の左右が全く見えてなかった事に気が付いた。
そして顔面を強打して、あたりが一瞬真っ暗になった。

薄れていく意識の中で、顔面が押しつぶされたのを感じていた。
壊れてしまった眼球の中から硝子体の液といっしょに、菜摘が出て行くのが見えた。
両目の菜摘が一緒になり、ちゃんとした体を持った小さな小さな菜摘になって歩き出した。
菜摘はしばらく道路に倒れている僕の方を心配そうに見ていたが、やがて時々振り返りながら遠くへ歩き去るのが見えた。

本当に見えたんだ。




                    おわり




新作です。
これぐらいだと掌編小説と言うより、短編小説と言った方がいいのかな?
例によって、書き上げてすぐにアップしてます。
細かな校正はこれから、時間の合間を見てという感じです。

写真は、ネット上の2枚の写真をコミックスタジオで合成して作りました。

あと、作品のタイトルの後に原稿用紙換算の枚数を全部の作品に入れました。
これは読んでくれる人の心構えのためです(笑)
その日の気分によって、短いものなら読めるかなーとか、ちょっと長めのものもいいんじゃない、とかあると思うので。


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by marinegumi | 2010-11-10 17:14 | 短編小説(新作) | Comments(0)