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近道 (20枚)

美由紀の家の近くには、一本の不思議な道があった。
その道が不思議な道と言うのではなく、その道を通る事で美由紀に不思議な事が起きたのだ。
おそらくそれは美由紀だけに起きる事だった。

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美由紀が通った幼稚園や学校からの帰り道は、長い下り坂になっている。
その道路の坂が終わったあたりから信号まで歩き、左に曲がって15メートルほど行けば、小さな郵便局が見えてくる。
郵便局を過ぎて、あと5分ほど歩けば美由紀の家に着く。
それがいつも普通に通る道だった。
その丁度坂が終わったあたりに自動車はとても通れないぐらいの狭い道が四角い土地を三角に切り取るように斜めに付いていた。

思い出すのは入園式の日、母親と一緒の幼稚園からの帰り道の事。
母親がまっすぐに歩くのをそっと見送って、その近道に入り、先回りしようと美由紀は走って行った。
道は郵便局の手前に出るので、建物の陰に隠れ、いきなり飛び出して母親を驚かせたのだ。
そんな事があった。
その道は、小さな美由紀にとって魅力的な近道だったが、ある日から、道の途中にある家が大きな犬を置くようになり、吠えられるのが恐ろしくて、通る事はめったになくなって行った。
その後、不思議な経験をするまでは。


1994年8月 神戸

今日は美由紀の通っていた女子大の、卒業して初めての同窓会だった。
その帰りに美由紀の友人の3人が、彼女の家に遊びに来る話になったのだ。
4人は同窓会の終わる頃から、不思議体験の話で盛り上がっていて、その帰り道でもずっと話題はそれだった。
美由紀以外の3人の、幽霊を見た話や、信じられない偶然の話、はてはUFOの話まで出て、今度は美由紀の話を求められた。
「えー?私ってそんな不思議体験なんかあらへんわよー」
「うそやん。誰でもなんかあると思うわ」と、幽霊を良く見るらしい加菜が言った。
「そやね。美由紀って霊感なさそうやもんね」と、ゆかが言う。
彼女は眉唾ものの、あり得ない偶然に何度も遭遇しているらしい。
3人のやり取りを黙って興味深そうに笑顔で聞いている恵(めぐみ)のUFO目撃談は真に迫っていた。
「ねえ、よく考えたら何か一つぐらいあるでしょ?」と加菜はしつこい。
その時、美由紀は、あの近道の事を思い出していた。
自分の中で、封印してしまったあの不思議な近道の事を。
不思議体験と言えるのは、その近道の事しか美由紀には思い浮かばなかったのだ。
誰にも話した事のなかったその近道での経験を、美由紀は初めて話し出していた。


幼稚園の頃、たまにその道を通ると不思議な事が起こった。
普段は犬に吠えられるのを嫌って避けているのだが、犬が散歩に出かけているのを見かけた時などは必ず帰りにはその道を通った。
おしっこをがまんできなくて、一刻も早く家に帰りたい時は犬の恐怖も忘れて、その道を走って帰った。
そして、通るたびに必ずその不思議な現象が起きた。
近道だからというわけではなく、その道を通ると時間が早く経過しているのだ。
幼い美由紀にしてみると、なんか変だなと思うぐらいだったが、今から考えると物理的に時間が早く流れているとしか思えない現象だった。
例えば、その時間が夕方の5時だったとして、歩いて1分もかからないはずのその道を通って家に帰ると5時半になっていたりする。
それでは近道ではなく、余計に時間がかかっているようだが、時間を一瞬で飛び越えるような感覚だったのだ。
その道に入って走って行くと、道を通り抜けた記憶がないのに、いつの間にか家に帰っている自分に気が付く。
そういう意味での近道と言うわけだった。

小さかったので時間をあまり気にしてなかった美由紀が、その事に本当に気がつくのは小学校に入ってからだった。
小学校4年生の頃、美由紀は公文の教室に通い始めた。
遅くなった日は教室を出る前に時計を見る。
暗くなりかけているので少しでも早く家に帰ろうとあの近道を通る。
途中、道の真ん中辺で、あたりの景色がゆらっとゆれて変な気分になる。
気がつくと、自分は食卓の前に座ってみんなでご飯を食べていたりするのだ。
ご飯をよそうお母さんの笑顔、隣に座ったお父さんの大きな肩、目の前で手や口の周りを汚して一生懸命に食べている弟。
不思議な時間のショートカットを経験した後、そんな幸せな日常の中にいる自分に気が付く。
その時に時計を見ると、塾を出てから1時間以上経っていると言う不思議な出来事と、ごく日常的な目の前の情景のその落差に、しばらく混乱する。
最初は、あの近道を通ってから食卓の椅子に座るまでの記憶がないのだが、だんだんに思い出してくる。
その道を通って、家に帰って、服を着替えてテレビを少し見て、食卓に着くまでの記憶が、気が付けば何の無理もなく美由紀にはあったのだ。
そしてその不思議な現象は、美由紀にしか起きないと言う事も解った。
何度かその道を友達と一緒に通った事があったのだ。
道の中ほどで気が遠くなるまで友達は確かに一緒にいたのに、次の瞬間、気が付くと一人で家にいて宿題のプリントに向かっていた。
次の日、学校で会っても友達はその事に付いて何も言わなかった。
美由紀の記憶にある通り、その友達は美由紀の家で一緒に遊び、ちゃんと普通の時間を過ごして家に帰ったのだから。


「それって、ただ美由紀がぼーっとしてただけじゃん」と友達の加菜が言う。
「そうだよ、そうだよ」あとの二人も相槌を打つ。
「そんなんと違うわよ」美由紀は話の続きをはじめる。


小学校六年の頃には、その道を通って飛び越せる時間は半日にもなっていた。
近道を通ると、真ん中辺で景色が揺らぎ、不思議な感覚がして自分が半日後にいるのに気がつくのだ。
時間を飛び越して、すぐには飛び越した時間、半日分の記憶がないのはいつものことだった。
そしてその半日の記憶が過去の事として、次第に思い出されて来るのも同じだった。
美由紀にはその半日を生活していた記憶がちゃんとある。
しかし自分が半日分の時間を飛び越してしまったと言う思いもまた確実なものだった。
幼稚園の頃は近道をすると、飛び越してしまう時間はほんの数十分だったように思った。
何度通ってもその時間は同じぐらいだったように思う。
だが、大きくなるにつれて、確実に飛び越してしまう時間はなぜか長くなっているのだった。

「それってさー、あれと違うの?」ゆかが言う。
「子供の頃って、時間を長く感じるやん。大人になるとだんだん短く感じて来るでしょ?」
「そう言うたらそやね。ちっちゃいころは一日が朝、昼、晩と、今の3日ぐらいあった気がする」と恵。「それと関係があるのかも知れへんね。飛び越しちゃう時間が長くなるって言うのは」
ここまで話して来ると、3人も美由紀の話をだんだん信じて来てくれたようだった。


中学3年生の頃にはその時間は1日にもなっていた。
近道を通るたびに、ほぼ一日分の時間をポンと飛び越してしまうのだ。
さすがにその頃には事のあまりの不思議さに恐怖心もあり、近道を通ることはめったになくなっていた。
だが高校受験が近づき、勉強に追われる日々が続くようになり、ふと疲れを感じた時などに、その道を通る誘惑に負けてしまった。
受験勉強に明け暮れる日々に嫌気が差し、飛び越してしまいたくなったのだ。

それはその道を通るたびに間違いなく起こった。
道の中ほどでゆらりと周りの景色が変化して、ふっと気が遠くなりかけたと思うと、時間を飛び越した自分がいる。
一日分の時間を。
美由紀は何度も何度もその道を通った。
早く勉強勉強に明け暮れる日々を抜け出したかったのだ。
通るたびに一日を飛び越せた。
飛び越しはしても、ちゃんと飛び越した一日の記憶もあり、勉強した内容も覚えていた。
確実に一日の近道が出来たのだ。

希望高校合格。
その時点で美由紀はピタッと近道を通るのをやめた。
自分は本当に飛び越した時間を生きたんだろうかと不安に思ったからだった。
確かに飛び越して来た日々の記憶はあった。
学んだ事もちゃんと頭に入っている。
しかし記憶としてあるだけで、本当に体験して、生きて来たのだと言う自信がなかったのだ。
高校、大学一貫教育のその学校に同じ中学校の美由紀と加菜とゆかは一緒に進んだ。
恵とは新しい学校で友達になった。
美由紀はそれ以来一度もその近道は通らなかった。

「で、これがその近道なんや」と言う加菜の声で美由紀は我に返った。
友人に自分の体験を話すうちに、その事に没頭して過去の出来事を追体験していたようだった。
あの細い近道が目の前に見えていた。
「わたしは信じへんよ、そんな事」加菜はいたずらっぽい目をして言った。
「通ってみようよ、そんな事起こるはずないもん」
「だ、だめだよ!ほんとにあれは必ず起きるんやから」美由紀はあせっていた。
「面白いやん。通ってみよ?」と、あとの二人が美由紀の手を引いて近道へと引っ張って行った。
「だいじょうぶ。むかしの事やし。たぶんあんたの勘違いよ。それに4人で固まって通ればそんな事起こらへんかも知れへんしさ。こうやってつかまってれば大丈夫!」言いながら加菜は美由紀の肩に手をかけて押した。
強引な3人に最初は抵抗したが、ふとあれから、もう7年も経っていて、記憶も曖昧になっていた事もあり、何かあの出来事が現実ではなかった様な気がして、手を引かれるままに近道を歩いて行った。
道の中ほどに来ても何の変化もないような気がして、ほっとしかけたその時だった。
あたりの景色が揺らめき、気が遠くなりかけたと思うと2人の友達の、美由紀の手を引いていたその手がふと消えた。
両肩に感じていた加菜の押して来る手の感触もなくなった。
と同時に美由紀は家にいて、二階の自分の部屋の窓から外を見ていたのだ。
そして唖然とした。
いつも見慣れた景色が一変していたのだ。
やけに空地が目立つ町並み。
新しい家が多く、建設中の家も何軒もある。
しかしそこは自分の町だった。
遠くに見えるポ-トタワーは見間違えようもない。
景色どころか自分の部屋も以前の部屋とはまったく違っていた。
壁のカレンダーを見ると、その日はあの4人で近道を通った日から5年以上が過ぎていた。
記憶がじわじわと美由紀を襲って来た。

美由紀が卒業して、働き出した次の年に阪神大震災があったという記憶。
その震災で加菜とゆかが死んでしまったと言う記憶。
恵は無事だったが、家が全壊し、遠くの町に引っ越して行った。
あまりにも辛い、たくさんの思い出が、飛び越してしまった5年間の思い出が、後になり先になりしながら、美由紀の頭の中に押し寄せてきたのだ。
美由紀は泣いた。
大声を上げてその場に座り込んで泣いた。
そして、さらに悲しい事実がよみがえって来たのだ。
お母さんが!お母さんも死んでしまった。
中学生だった弟も死んでしまった。
楽しかった家族の団らんの場だったその家に押しつぶされて。
美由紀は泣き続けた。
小さな頃に戻ったように我慢する事なく、ぼろぼろと大粒の涙をこぼして泣き続けた。
美由紀は、あまりの悲しい記憶の洪水に押しつぶされそうになった。
しかし、大声を上げて泣く事で、なんとか持ちこたえることが出来たのだ。
美由紀も大けがをしたものの、何とか瓦礫の下から父によって助け出された。
父は夜勤で、震源地よりかなり離れた会社にいたので、無事だったのだ。
そして、今はその父親と二人暮らしだった。
今は元の土地に、前の家より少し小さな家をなんとか建てる事が出来ていた。
たくさんの、たくさんの記憶がすべて頭の中に納まると、美由紀はかすかに震えながらゆっくりと立ち上がった。
そして窓の外をもう一度見た。
復興しつつある町を。

もう落ち着いていた。
美由紀にとって、その思い出たちは過去の出来事なのだ。
たくさんの親しい人の死に直面したが、その時に思い切り泣いて泣いて涙は涸れたのだ。
もう今は泣くことはないんだと気がついた。
そこには5年の歳月の記憶によって癒された美由紀がいたのだった。

近道 (20枚)_a0152009_20493096.jpg




おわり



阪神大震災から16年たちますね。
我が家は神戸から離れているので、被害はありませんでしたが、それでも震度4で、本棚の上にあったビデオテープケース(ガラス扉付き)が寝ている枕元に落ちました。
わずか30センチで、頭への直撃しをまぬがれました。
そんなことより、テレビで見る神戸の街の惨状に言葉を失ったものです。
よく遊びに行った場所が‥

この作品は時間を飛び越す不思議な道、と言うアイデアだけで何も決めずに書き始めて、最後の方で自然に阪神大震災へとつながったのを思い出します。
短く不完全なまま2年ほど放置していた物を、今回ちゃんと書き直しました。

女の子たちのセリフを今回、標準語から関西弁に直しています。

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by marinegumi | 2011-01-15 21:01 | 短編小説(新作) | Comments(10)

Commented at 2011-01-15 21:11 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by marinegumi at 2011-01-15 22:05
匿名さん、ありがとうございます。
僕は震災の経験者とは言えないので、こんな小説を書くのも特につらくはないですが、震災に遭って、肉親を亡くされた人だったら、たぶんいくら年月が過ぎても、つらい事だと思いますね。
9・11もテレビで見て言葉を失いましたね。
2機目の飛行機が建物に突っ込む場面をリアルタイムでテレビ中継で見ました。
忘れることはできません。
Commented by y_fstw at 2011-01-17 23:04 x
 時間が経っているのに空き地が増えるという描写に虚をつかれました。
 普通は空き地というのは時間とともに減っていくもの。震災の怖さを感じました。
 こういう災害を題材にするのは難しいですね。実際に経験をした人がいますから。ただ、こういう形で取り上げていくことも、忘れ去らないために必要なことかもしれませんね。
Commented by marinegumi at 2011-01-17 23:53
y_fstwさんこんばんは。
最近見た映像で、新宿の実際の風景を早回しで見て行くと言うのがありました。
ある時点から同じカメラ位置で撮影したものでしょうけど、見事にどんどん大きなビルが現れて行く様は、これが発展すると言う事なのかと思いました。
でもひょっとしてこの映像が関東大震災や、東京大空襲以前から撮られていたら、一時、建物がほとんどなくなったりするんだなーと思って見ていました。
戦争はもちろん大災害も起きてほしくないと祈るしかありません。
Commented by 春待ち りこ at 2011-01-18 00:05 x
不思議なお話でした。

そこを通ると。。。時間が飛ぶ
記憶は、あとからやってくる。

その記憶は、本当に彼女のものか。。。
彼女の中にもう一人の彼女がいて
もしかしたら、記憶を共有しているだけではないのか。

……とか。。。いろいろ考えちゃいました。(笑)
相変わらずの妄想癖でスミマセン。


もしかしたら、彼女には耐えきれないような悲しみを
耐えて。。。未来も生きるために
その道は、存在した!!!のかもしれない。。。

(・・*)。。oO(想像中)

あらっ。。。また、妄想が。。。(汗)

阪神大震災。
あの日、テレビの中に映し出された光景に
絶句したのを覚えています。
たくさんの命が失われました。

私たちは、そのことを忘れてはいけない。
失われた命は、戻りませんが
深く傷ついた悲しみだからこそ、
教訓としてちゃんと伝えて。。。
明日に繋げていくことが
大切なんじゃないかと思っています。
Commented by marinegumi at 2011-01-18 00:44
りこさんこんばんは。
いろいろ想像してくださってありがとうございます。
その想像をいただいて、それぞれ別のお話が作れそうですよね。
いただいちゃってもいいですか?(笑)

このお話のきっかけも、小さな自分の経験からです。
肉親が病気になって、余命宣告をされて、苦しんでいる姿を毎日見ているときに、ふとこんな時間を飛び越してもうその人が亡くなって何年も経っている時間に行けたらいいのにと思ったことです。
きっとその頃には肉親が亡くなった事にももう慣れてしまっていて、悲しい思いをせずに済むんじゃないかと。
意気地がないと言うか、そういう事を考えてしまったんですね。
それを震災にあてはめたんです。

東海地震が近いうちに起きるかもしれないと言うのを聞くと、なんだか足元がフワフワした不安な気持ちでいっぱいになります。
1月17日を忘れず、教訓にして、十分に備えをして、阪神大震災とは比べ物にならないほど被害が少なかったと言う風になる事を願っています。
Commented by りんさん at 2011-01-21 17:26 x
すごく面白かったです。
不思議で、悲しい。
美由紀は、時間を飛び越えて幸せだったのか…。

最初は私もりこさんのように、もう一人の自分がいるのかと想像しました。
最後に阪神大震災が来るとは思いませんでした。

阪神大震災は1995年でしたね。
関東に住んでいても揺れを感じました。
私が住んでいるところは地震が多いので、揺れるとすぐにテレビをつけます。
あの時は、被害が次々明らかになっていって、橋が壊れた映像にはホントにびっくりしました。
Commented by marinegumi at 2011-01-22 21:58
りんさんこんにちは。
ありがとうございます。
>最後に阪神大震災が来るとは思いませんでした
実は僕もそうだったんです。
書きながらどういう結末になるのか考えているとこうなってしまったんですね。
落ち着くべき所に落ち着いたと言う感じがしました。

本当に震災の時はテレビを見てて悲しかったです。
人が大勢死んだ事もそうですが、何度も足を運んだいろんな場所がめちゃくちゃに壊れているのを見ると、ほんとに切なかったです。

橋と言うか、高速道路の高架橋ですね。
あの映像は阪神大震災の番組などには必ず出て来ますね。
Commented by サイトー at 2011-01-28 22:37 x
近道すると時間が飛ぶという発想が面白かったです。
通常ですと飛んだ時間の記憶はないのですが、記憶があるというのがいいですね。
発想の盲点をつかれました。

それにしても、阪神大震災から16年も経つのですね。
ぼくも一時期関西にいたというものの、そのころには阪神大震災から数年たち、自分が目にする範囲(神戸はたまに出かける程度だったので超狭いですが)では復興していたので、知っているのは映像のみです。
それでも、非常に衝撃的でした。
Commented by marinegumi at 2011-01-29 19:50
サイトーさんこんばんは。
この作品の発想は、いやな経験はパスしてしまいたいというところから来ています。
いやな出来事がすでに終わってしまった時点に飛ぶ事が出来たら、それはすでに過去の事なので、あまり悲しくはないだろうという。
だから記憶があることが必要だったんですね。
その記憶が後からどっと押し寄せるというのはちょっといい思いつきかなと思いました。
読んでいる人を泣かせるのが目的で、こういう使い方をしています。

ぼくは一時、毎週のように神戸に行っていた時期がありました。
古本屋さんめぐりが主でしたが、テレビに出てきた場所に行ったり、映画を見に行ったり。
良く映画を見た神戸新聞会館の崩壊寸前の映像には声を失いました。