新潟ぬれせんべい (7枚)

私は東京を出た時は、確かに電車に乗ったはずだった。

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大小のビルが飛び去るように過ぎて行く車窓の外はいつの間にか雪が降り出していた。私は時々居眠りを繰り返し、少しうとうとしては目覚め、外の都会の灰色の景色に飽きてはまたうとうとし、くりかえしながらそのうちかなり深く眠ってしまったらしく、今度目が覚めた時には見渡せる範囲はすべて雪に覆われていた。そして間もなくアナウンスがあり、信越本線の来迎寺駅に着いたのだった。
列車から降りる前に大きな汽笛を聞いたように思った。その時は特に怪しみもしなかったけれど、プラットホームに降りてから自分の乗って来た列車が蒸気機関車に引かれていたのを見つけ、その途端になぜか周りの景色がすべて、駅舎も、舞い落ちる雪も、行き交う人々も夢の中の出来事のように思えて来た。
私は東京を出る時は、確かに電車に乗っていたと思ったのだが、それはもうどうでもいい事のような気がしていた。あまりにその蒸気機関車がこの雪国の町に似合っていたからかもしれない。新潟県長岡市浦という深い雪に埋もれた町。

来迎寺駅からバスに揺られて1時間15分ほど。さらに雪深い山道を徒歩で2時間以上歩いて、目的の場所に着いた時にはあたりはもう真っ暗になっていた。
幻のおせんべい屋さん「石塚製菓」は殆ど雪の中に埋もれた感じで、灯りがともってなければきっと見落としていただろう。特に看板が上げてあるわけでもない、ごく古い民家なのだ。雪の下になっている屋根はきっと藁ぶき屋根だという想像しか出来なかった。
木製の引き戸を開けると、あたたかい裸電球の光の下で、おばあさんが一人炭火の上の網で、おせんべいを焼いていた。その部屋はなんとも香ばしい甘口醤油の香りで満たされていた。
「おばあさん、ぬれせんべい5袋ください」
「おやおや、今年もまた来たんだね、おねえさん」
「はい、あの味が忘れられなくて」
「そうかいそうかい、そんなに気に入ってくれて、わたしゃうれしいよ、あーでもさっき雪上車で男の人がやってきて15袋も買って行っちゃってねぇ、2袋しか残っていないんだ」
「え?そうなんですか」
私にはその男が誰なのかがすぐに判った。雪上車をこの「新潟ぬれせんべい」を買いに来るためだけにわざわざ購入したあいつ‥
「今日はもう暗くなってしまったし、雪もまたたくさん降り出したようだね、泊まって行くがいいよ、明日の朝までには焼いておいて上げるから」
「ありがとう、おばあさん」

仕事場の奥の板の間に敷いてもらった布団の中から目だけ出して、私はおばあさんがおせんべいを焼くのを見ていた。温かい炭火の色。かさかさとおばあさんがお煎餅をひっくり返す音。そして何よりこの何とも言えないひどく懐かしい香り。おばあさんの椅子の後ろには背中に寄り添うようにして一匹の三毛猫が座っていた。

私はそれを見ているうちにいつの間にか奇妙な夢の中にひきずり込まれて行った‥

追いかけていた。
私は雪の山道を必死に、あの雪上車を追いかけていた。
現実世界では、その雪上車の男の顔はまだ見たことがなかったが、夢の中では必ずその男はわたしが幼いころに死んだ、写真だけで知っている父親の顔をしていた。追いつけそうで追いつけない、夢の中で雪上車を運転している男の時々見せる横顔がどうして父親の顔なのかいつも不思議な思いで目が覚めるのだった。

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ふと、ほほに寒気を感じて目が覚めた時にはおばあさんの姿はなかった。炭火は既に消え、お煎餅工場と呼ぶにはあまりに小さなその仕事部屋はすっかり冷え切っていた。一灯の裸電球だけが部屋の一部を照らしている。寒さで布団から出るのをためらっている私の枕元に、ぬれせんべいが5袋置かれているのを見つけた。
「おばあさんはもう寝たのかしら?」
そうつぶやいた自分の声がなぜか震えていた。寒いからだけではなく、なぜか急にひどく胸騒ぎがしていたのだ。
布団を持ち上げるようにしながら私は体を起して行った。仕事場の床がだんだん視界に入ってくる。おばあさんが頭にかぶっていた日本手ぬぐいの柄が床の上にあった。体を起して足をまわして仕事場の土間に置くと、床に倒れているおばあさんが見えた。そして床には黒い液体がおばあさんの頭を中心に広がっていたのだ。
黒く見えたそれは渇き始めている血に間違いなかった。
突然目の前が真っ暗になった。

その瞬間部屋の空気が変わった。ずっと聞こえていたかすかな騒音が消え、暗闇が緩やかに明るさを取り戻して行った。100近い椅子が並んだその部屋には20人ほどの人々が思い思いの椅子に座っていた。パラパラと拍手が起きる。
「どうです、なかなか面白い展開でしょ?」ヒゲを生やした、ジーンズにサングラスの男が隣に座った恰幅のいスーツ姿の紳士に言った。
「で、これがわが社のCMとどう言う関係があるんだね?」とその紳士は眼鏡をハンカチで拭きながら聞いた。
「CMの方は、このドラマの予告編のような体裁で制作していますので、このあとご覧になれます」と、今度は紳士をはさんで座っているもう一人の背広姿の若い男が言った。
「今のドラマのハイライトをフラッシュバックで散りばめてかなり面白くなっています」男は広告代理店の社員のようだった。
「しかしね、きみ。わが社の製品はあんなばあさんが焼いてるんではないぞ。超近代的な工場で、しかも手作り感を大事に‥」石塚製菓の社長は少々不満げだ。
「ああ、もちろんその辺は考慮してあります。ギヤップですよ。ギャップの面白さで視聴者にアピールするんですね」ヒゲにサングラスの、こちらはこのドラマの監督で、CMもたくさん手掛けている。
代理店の男が言った。
「このドラマはとりあえず導入部だけをCMが放映されると同時に、石塚製菓のホームページやYou Tube でも見られるようにします。そして話題になればドラマの続きが制作されて、サスペンス劇場で放映てなことになるかもしれませんよ。あの大物タレントの主演でですね」
私は彼らの後ろでその話を聞いていた。そうなんだ。「サスペンス劇場で放映てなことになるかもしれませんよ」というわけだ。それは運次第という事なのだ。

初のドラマで、初主演でデビューかとわくわくしていたんだけど、そう言う確実な話ではないらしい。でもまあ、ドラマの自分の演技には満足していた。女優なんて職業はそのほとんどが運次第だと思う。

再び試写会会場は暗くなりCM本編の映写が始まった。




おわり



うーん、なんだか、岩塚製菓の「新潟ぬれせんべい」を食べながら雪国のお話を書いてみたいと考えていると、こんななっちゃいました。
作品中のメーカーは石塚製菓にしています。

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Commented by 春待ち りこ at 2011-02-03 17:19 x
雪の深い場所の煎餅屋。。。
そこで焼かれている。。。ぬれせん。。。
謎の男
意味ありげな伏線。。。

そして、突然の殺人事件。。。

さ。。。さきが。。。知りたい。。。あぁ!!!!!

クスクス(´艸`o)゚.+:

CMだったんですね。
見事に落ちてました。。。っが。。。
本編希望!!!

雪上車の男の正体は?
顔だけしか知らない父の謎は?
あの味ってどんな時の味?
東京からわざわざ買いに行くぬれせんべいって???

まだまだ、気になること満載。
いろんな妄想が。。。
(・・*)。。oO(想像中)
あぁ。。。やっぱ。。。先が知りたい。

こんな私は、我儘ですか???o(;△;)o ウルウル・・・
Commented by りんさん at 2011-02-03 17:59 x
雪国の幻想的な話。
最初はタイムスリップでもしたのかな…と思ったら、CMだった。
しかもメチャメチャいいところで終わってますね。
ぜひサスペンスドラマで見たいものです^^

最近はドラマ仕立てのCMが多いから、こういうのもアリかも…と思いました。
Commented by marinegumi at 2011-02-04 21:33
りこさんこんばんは。
はい、わがままですよ(笑)
この作品はイメージ先行で、結末を決めずに気の向くまま書いていったもので、どうにも決着が付きそうでなくなったのですべての謎を放り出したまま、こういう結末になっちゃいました。
一時は書きあげるのをあきらめたぐらいでした。
Commented by marinegumi at 2011-02-04 21:38
りんさんこんばんは。
タイムスリップかー
電車がSLに変わってしまっているというところですね。
そうですよね。
この作品のドラマ部分を完成させようとすればタイムスリップ物にでもしないとうまく決着しないかもしれません。
するとサスペンス劇場枠ではちょっと無理?
Commented by ヴァッキーノ at 2011-02-05 07:34 x
ぬれせんべいっていうマニアックなお菓子がいいですね。
マニアックなアイテムが文章の中に出てくるのが好きです。
ばあさんが、焼くせんべいの香りがしてきそうな、旅情エッセイ風のはじまりからの夢オチのような大転調!
「これは、CM上の演出です。実際の作業工程とは異なります。」っていう注意書きが、テレビ画面の隅っこに小さく出そうなお話で面白かったです。
Commented by サイトー at 2011-02-05 11:44 x
自分も結末を考えずに書き始めて、どうにもまとまらなくなり悲鳴をあげたくなることがあります。
石→いかの話なんてそうなんですけどね。
それでもなんだかんだいってまとめてしまう海野さんは実力者です!
Commented by marinegumi at 2011-02-05 21:32
ヴァッキーノさんおはようございます。
ぬれせんべい、マニアックですかね。
そうかもしれません。
雪上車と言うのもマニアックなのではないでしょうか。
夢オチ!
限りなく、タブーの夢オチに近い映画オチと言うやつですね。
>CM上の演出です。実際の作業工程とは異なります
これは必ずこのCMには入る事になりますね。
Commented by marinegumi at 2011-02-05 21:34
サイトーさんこんにちは。
うーん、けっこうまとまらなくて放り出したものもありますよ。
そういうものでも残しておくと二つ合わせて一つの作品にまとまったりと言う事もありますからね。
無駄遣いはしないという感じで。
Commented by y_fstw at 2011-02-07 22:38 x
 私もサスペンス劇場化希望します!いや、連ドラでもいけるかも。いろんな設定が詰め込まれてますからね。タイムスリップ、恋愛、サスペンス…おいしそうな煎餅はグルメかな?
 この短篇で終わらせるのはもったいないです。
Commented by marinegumi at 2011-02-08 00:06
y_fstwさんこんばんは。
サスペンス劇場化~!
まだまだ破たんせずに長いものを書くのは難しいんですよね僕は。
それぞれのエピソードをバラバラにして短いものにまとめることは出来るかもしれません。
ストーリーとしてまとめる事を全く考えずに書き飛ばしたので、勘弁してね。
by marinegumi | 2011-02-03 00:51 | 掌編小説(新作) | Comments(10)