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風呂場の幽霊 (7枚)

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お父さんが死んだのはわたしが一緒にお風呂に入らなくなったからなのかもしれない。
今でもそんな気持ちがして、どうしようもなくなる。
だって、小さい頃は、お風呂は必ずお父さんと一緒だったんだ。
お母さんもわたしも、お風呂で倒れたお父さんを長い間気が付かなかったんだから。

もう二十歳を過ぎたわたしがいまだに一緒にお風呂に入っていると言うのはまずあり得ない事だけど、倒れたお父さんが死んでしまったと判った時、それはわたしのせいだという気が強くしたんだ。
一緒に入っていさえすればすぐに救急車を呼べたのにと。

わたしが小学校5年生の時、同じクラスの女の子たちとの話の中で、まだ親とお風呂に入っているのかいないのかが話題になった。
そこにいた5人の中で、お父さんと入っているのは私だけだと言う事がわかった。
お母さんと入っている子は何人かはいたけれど。
「へえ~?まだ入ってるんだ?」
と言うその子の笑顔が、なんだかそんなわたしを馬鹿にしているように見えた。
でもそれはわたしが恥ずかしかったからだけの事なんだと今では思う。
その子のせいではないんだと。

その日の夜からわたしはお父さんとお風呂に入らないと決めてしまった。
一人でお風呂場に行って服を脱いでいるとお父さんが入って来た。
「なんだよー、黙って入るんじゃないよー」
と言いながらお父さんも服を脱ぎ出した。
わたしは何も言えず、もじもじしながら仕方なく服を脱いで一緒にお風呂に入った。
お風呂に入っているお父さんとわたしの間には、ずっと気まずい空気が流れていた。
その時、それをお父さんも感じ取ったんだね。
そして私の気持ちを理解したんだと思う。
次の日からお父さんは一緒に入ろうとはしなくなったから。
それがなぜか少し悲しかったのを覚えている。
ほっとしてもよかったはずなのに、なぜか悲しかったんだ。

それからはお風呂には家族3人がそれぞれに入る事になった。

私が中学生になった頃だった。
お父さんがたまに早く帰って来て、お風呂に入ろうとする時間がわたしとぶつかってしまう事があった。
そんな時、お父さんは決まってこう言った。
「なんだ?久しぶりにお父さんと入る気になったのか?」
「何言ってるの?エッチ!スケベ!セクハラじじい!」
と、私は身も蓋もない言葉を返したものだ。
高校に通っていた頃も似たような事が幾度もあったと思う。

わたしが専門学校を出て美容師として働き出すと、帰宅の時間が遅くなった。
元々お父さんの仕事は終わる時間が不規則で夜遅く帰宅する事が多く、わたしの方もお父さんに負けず劣らず遅く、不規則になってしまった。
そういうわけで、お父さんが私の帰りを待ちながら仕事の疲れで、風呂に入らずに自分の部屋で寝てしまったりした時に、それを知らない私が、お風呂のお湯を落としてしまった事が何度かあった。
我が家では最後にお風呂に入った人がお湯を捨て、湯船をシャワーで流しておくのがルールだった。
お風呂は済んだのかどうか、毎日声をかければいいのだけれど、わたしも疲れていたので、つい億劫になる。
勝手にお父さんはお風呂に入ったと判断してしまったんだ。

そんな事があってから、ちょっとしたルールが自然に出来た。
わたしがお風呂に入って、上がる時には湯船の蓋の上に、洗面器をふせて置く。
お父さんが風呂に入った後は蛇口の下の台に洗面器をふせて置くのだ。
お母さんはいつも真っ先にお風呂に入り、その後、洗面器は洗い場に上を向けて置かれていた。
そういう洗面器を置く時のみんなそれぞれの癖がいつしか自然に誰が風呂に入ったかのメッセージのようになっていたんだ。
お父さんは、自分が風呂に入る時に蓋の上に洗面器がふせてあればわたしが入ったのがわかる。
わたしが入る時に蛇口の下にそれあればお父さんはもうお風呂を済んでいると判る。
そう言えばお父さんと私が一緒にお風呂に入っていた頃を思い出すと、お父さんが使い終わった洗面器を必ず蛇口の下にふせて置いていたのが映像として記憶に残っていた。。

そんな事を今、お風呂に入りながら思い出していた。
お父さんが死んでそろそろ1カ月が過ぎようとしていたけれど、わたし達はずっとただ重苦しく、悲しいだけの日々を送っていた。
お父さんとの小さな頃からの色んな想い出が蘇るたびに涙を流していた。
でも今、こうやってお湯につかり、お風呂にまつわる思い出を心に巡らせていると、ふと悲しみから解放されようとしている自分に気が付いたのだ。
たぶんお母さんもそうなんだと思った。

十分に温まり、湯船から出ようとしたその時、足元にあった洗面器がくるんと回りながら持ちあがり、宙に浮かんで蛇口の下に裏返しになって収まった。
そしてわたしは風呂場の中にお父さんの気配を強く感じたのだ。
何かを叫び出しそうになった。
悲鳴なのか、何かの言葉なのか、自分の口から何が出て来るのかが判らなかった。
「エッチ!スケベ!セクハラじじい!!」
そう大声で叫ぶとわたしは泣いた。
お母さんが驚いて入って来たのにも気が付かないほど泣き続けていた。
お父さんの幽霊が怖かったんじゃなかった。
お父さんがかわいそうだったんだ。
そんな言葉でしか愛情を表現出来ないこんな娘を持ってしまった、お父さんの事が。

そのあと、お風呂では一度も何も起こらなかった。
「もう一度くらいなら出てきてもいいんだよお父さん」
お湯につかりながら時々そう呟いてみる。



おわり



このお話は、今日の朝(もう昨日ですが)思いつきました。
その時は原稿用紙1枚ぐらいの小ばなし程度になるかな?と言う感じで、ふと気がつくとどういう話だったのかを忘れていました。
仕事場に来る道すがら思い出し、仕事の合間合間に書いているうちにどんどん書きたい場面が増え、長くなり、こういう形になったんですね。
あのまま忘れていればこの作品がなかったんだと思うとなんかちょっと不思議。

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Commented by 春待ち りこ at 2011-11-20 10:26 x
なんだか。。。
泣いちゃいました。。。朝から。。。(´;ω;`)グスン
主人公の気持ちが、まるで自分のことのように伝わってきて。。。

大好きだったんですよね。お父さんが。。。

洗面器の暗号にも感動してしまって。
こういう家庭のルールって、いつの間にか出来ていて。。。
でも、そこには必ず、理由があるんですよね。
優しさだったり、思いやりだったり。。。いたわりだったり。。。
どんな些細なルールにも。。。ね。
数々のお父さんとの思い出のシーン
この洗面器のルールによって。。。
ちゃんとひとつにまとまっている。お見事!!!

>「エッチ!スケベ!セクハラじじい!!」

この言葉が愛情の塊に思えました。。。
すごく素敵な作品でした。
楽しみました。。。というより。。。泣かされました。
ありがとっ♪
Commented by 川越敏司 at 2011-11-20 20:26 x
これは素晴らしい作品ですね! 実にいいです。さすが海野さんです。りこさんが涙したのもわかりますね。
たぶんですが、海野さんは10枚以内の作品でいいのが多いと思いますよ。
Commented by りんさん at 2011-11-21 17:56 x
いい話ですね。
お父さんの死を、自分のせいだと思う娘に「違うよ」と言いにきたのかもしれませんね。
きっとお父さんは、「エッチ、スケベ」と言われても嬉しかったんじゃないでしょうか。
Commented by 川越敏司 at 2011-11-21 20:47 x
あえて注文を出すとしたら、ここでは「エッチ、スケッチ、ワンタッチ!」というセリフを出してほしかったような。。。死後だけに死語で決めてほしかったです。
Commented by marinegumi at 2011-11-22 00:02
りこさんおはようございます。
最後の方を書いている時には、じぶんでもうるうるしていました。
こんないい話になる予定じゃなかったんですけどね(笑)
最初はごく短いコントぐらいの乗りだったんですけど、だんだん自分の家族との思い出を入れていくうちにこういう作品になりました。
こういう女の子が主人公の作品を書くときに一番気になるのが、女の子の心理ですね。
それが無理なく自然に書けているのかどうか。
Commented by marinegumi at 2011-11-22 00:07
川越さんこんばんは。
そういうふうに褒めていただくと、またどこかに投稿したい気持ちがむらむらとしてきますね。
でも、なかなか長続きしないんですよね。
袖にまつわるトーナメントの作品や、「手首」を書いている頃は絶好調だったんですが、すぐにまたテンションが下がってしまったり。
結構気持ちの浮き沈みが激しいんですよね。
Commented by marinegumi at 2011-11-22 00:12
りんさんこんばんは。
そういう風に言っていただくと、なんだか自分が物語の主人公のような気持ちになって、慰められているような気がして、またうるうるしてしまいます。
そうですよねー
どんなに口汚く罵られようとも、愛情の裏返しだと思うようにします…って、そんなにひどく言われませんから~!(笑)
Commented by marinegumi at 2011-11-22 00:16
川越さんこんばんは。
「エッチ、スケッチ、ワンタッチ!」ですか?
どうもそれは全国区ではないようですね。
僕らの地方では「エッチ、スケッチ、乾電池!」です。
どちらにしてもローカルでしょうから、ここは「エッチ!スケベ!セクハラじじい!!」でごかんべんを(笑)
by marinegumi | 2011-11-20 00:36 | 掌編小説(新作) | Comments(8)