防音室 (8枚)

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「さあ、あれですよ。あの白い外観の家」
不動産会社の男は片手ハンドルで前方を指差した。
車は大型車が三台は停められそうなガレージの真ん中に入って止まった。
「庭も広いわね。ガレージがこんなに広いから庭はもっと狭いかと思ったわ」
車から降りながら妻はうれしそうに言った。
「中を見るのが楽しみだな」
そう言いながら私が不動産会社の男を振り返ると、かばんの中をごそごそとかき回していた。
「どうしたんです?」
「いやー、ちょっと、この家の書類と間違って違う家のを持って来てしまったみたいで」
彼は手を合わせ、鼻の前に持って来ながら言った。
「申し訳ないです。すぐ取って来ますから、庭の方でも先にご覧になっていてください」
車は元来た道を帰って行った。

車が見えなくなると、私たちは顔を見合わせた。二人して何も言わずにうなずき、門扉を開けて庭へ入ってみた。少し荒れてはいるが、元々はきれいな庭のようだった。
「ガーデニングどころか、家庭菜園でも出来そうね」
妻がそう言った時、彼女の後ろに一人の男の姿が見えた。目が合った私が会釈をするのを見て、気がついた妻は後ろを振り返った。
「こんにちは」と男が言った。私より少し年上、70歳前後だろうかと見当をつけた。
「こんにちは。お隣の方ですか?」
そう私が聞くと男は笑顔になった。
「いえいえ、そうではなくて、この家の者…と言うか、この家の元の持ち主と言うべきですな」
「あー、なるほど」
「今日、この家を見に来られると聞いて、どんな方が来られるのか、興味しんしんでしてね」
そう言って男は笑った。
「いやいや、本当はたまたま通りかかっただけですがね。で、坂口君はどうしました?」
坂口と言うのはあの不動産会社の男だと思い出した。
「書類を忘れて、取りに帰られましたの」妻が言った。
「あーなるほど。それでは家の中に入るには行かないわけだ」
「そうなんです」
「会社まで帰って引き返して来るとなると、30分は見とかないとな。どうです?わたしはまだこの家の鍵を持っていますから中をご覧になりますか?」
そう言うと男はさっさと玄関の方へ歩き出してしまった。
「おい、不動産屋は鍵は全部新しい物に取り換えたと言ってたよな」
私は妻に向かって言った。
「そうなんですか?私はよく聞いてませんでしたから」
「たぶん古い鍵は合わないはずだが」
二人が追いついた時には、男はもう玄関の扉に鍵を差し込んでいた。そしてそれは簡単に開いたのだ。
妻は私の顔を見て、くすっと笑った。
「取り換えますから…だったかな?」と、私は小声で言った。

玄関の中は吹き抜けになっていて明るい光が差し込んでいる。
不動産会社のネームの入ったスリッパが揃えて置いてあるのをそれぞれ履いて家に上がった。
男のかつて知ったる元わが家の説明を聞きながら一通り見て回った。
「あのう。私たちの子供が音大に入って本格的にピアノを弾いていますので、防音室が必要なんです。ここにはそれがあると聞いたもので」
「はいはい。そうだったんですか?実は私の妻はピアノ教師をやっていましたんですよ。防音室にはグランドピアノが1台と、アップライトが2台置いてありました」
防音室に案内された。窓のない広い部屋だが、その分豪華な明るい照明器具が取り付けられていた。四方の壁面が細かく微妙なカーブを描いていた。
「この部屋の防音工事だけで300万かかりましたか」
男は壁を手のひらでたたきながら言った。
「実はですね。この家はトイレも防音壁になっているんですよ」
男は不思議な笑顔を浮かべた。

部屋を出る男に着いて行くとトイレに案内された。
「ほら、このドアの厚さをごらんなさい」
「どうしてトイレまで防音なんですの?」と妻が聞いた。
「だって、あれじゃないですか?おなかの調子が悪い時なんか、音が漏れてやしないかと気になりません?女性なんかは用を足すときに水を流しながらとか…」
「それはそうですね」と、妻はうなづいた。
「やっぱり女性は共感してくださいますね。これを考えたのは私の妻だったんですよ」
男は私たちから目をそらし、少し上の方を見た。
「でもね。これは失敗でした」
そう言いながら、男は一人でトイレに入ってドアを閉めた。
しばらく何事も起きないので不思議に思い、私たちは目を見合わせた。
その時、ダイニングの方から声が聞こえた。
「どうです?今、私が中で大声を出したのが聞こえましたか?」
ダイニングに行ってみるとインターホンから声がしていた。
「壁をドンドンたたいたりしたんですが、聞こえなかったでしょ?」
「聞こえませんでしたよ」と、私は答えた。
インターホンの声は続けた。
「ある日、私はトイレに入っていたのですが、急に気分が悪くなりましてね。倒れてしまったんです。くも膜下出血でした。気が遠くなりながら大声をあげたり、壁を手当たり次第叩いたりしました。インターホンにまで手が届かなかったんです」
「それは大変でしたね。でも今は完全に回復されているように見えますが?」
インターホンからの返事は聞こえなかった。
「もしもし?」
インターホンのボタンを何度か押してみた。
ダイニングルームを出てトイレの前にやって来た。
ドアを叩いても鈍い振動があるだけで大きな音はしない。
ドアを開く。
しかし、そこには誰もいなかったのだ。
「外へ出たのかしら?」妻が少し震える声でそう言った。
玄関から外へ出てみたが、あの男の姿は見えなかった。
庭を歩いて家の周りを一周して元の場所に帰って来た時に不動産会社の車がちょうどガレージに入るのが見えた。
「お待たせしました」車から降りて来た、満面の愛想笑いの坂口は両手に缶コーヒーを持っていた。
私は聞いた。
「この家の元の持ち主の方は今どうしています?」
坂口はくるりとまじめな顔になって、小さな声で言った。
「最近、亡くなられたようですね。奥様はまだいらっしゃいますが老人ホームです」
私は玄関の扉の取っ手に手をかけた。
それにはしっかりと鍵がかかっていた。



おわり



昨日の夜、思いついて、即書きあげました。
1時間ほどで出来たかな。
それこそトイレに入っている時に思いついて(笑)すぐに書いて、アップしようとすると、まだ日付が変わっていませんでした。
同じ日に2本アップと言うのもなんですので、今朝アップしています。


りんさんのコメントを参考にして、一部修正しました。
修正前はこんな感じです。

    ↓

「あーなるほど。それでは家の中に入るには行かないわけだ」
「そうなんです」
「会社まで帰って引き返して来るとなると、30分は見とかないとな。どうです?わたしはまだこの家の鍵を持っていますから中をご覧になりますか?」
「そんな事をして大丈夫ですか?」と、私は少しためらった。
「あなた、お願いしましょうよ」
今日は朝から浮き浮きしていた妻がそう言った。
「そうだな。お願い出来ますか?」
私がそう言い終わらないうちに男は玄関まで歩き、鍵を差し込んでいた。


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Commented by りんさん at 2012-06-19 17:55 x
前の持ち主が鍵を持ってるなんてありえない…と思ったら、そういうことでしたか。
怖いですよね^^
悪い霊ではなさそうだけど、この家は買えませんね、私には^^;
Commented by marinegumi at 2012-06-20 00:00
りんさんこんにちは。

>前の持ち主が鍵を持ってるなんてありえない

その辺は結構考えてしまったんですよね。
たぶん実際は前の持ち主が合いカギを作っているかもしれないので、不動産屋が買い取ったった時点で、鍵は新しい物に換えてしまうように思いますね。
また買い取りではなく仲介なので、売れた時点で完全に鍵を渡すという事になっているとか、または、「渡し忘れていた鍵が出てきたので持って来たんですよ」とか、いろいろ考えましたね。
でもこんな短いお話にそう言う細かい描写を入れるべきかどうか迷ったんですが省いたという事です。
でも、そんな疑問を読者に抱かせるのはまずいかもしれませんね。
そこで、今思いついたのでその辺を修正する事にしました。

>悪い霊ではなさそうだけど

そうなんですよね。
自分の二の舞になってほしくないという一念で…
Commented by haru123fu at 2012-06-20 21:26
あまり関係ないのですが映画のパニックルームをおもいだしました。
お金持ちって、本当にそんな非常時の部屋を作っているのでしょうかね。
Commented by ヴァッキーノ at 2012-06-20 22:04 x
トイレも防音ってなかなかいいかもしれませんね。
防臭もいいですよね。
もう、こうなったら、家には「防」ってつくあらゆる物を装備してもらいたいです。
ぷぅ~。
Commented by marinegumi at 2012-06-20 22:30
haruさんこんばんは。
おおー「パニックルーム」
欧米ではけっこう作っている家が多いのではないですか?
日本では家と家の間が接近しているので、ピアノ室は防音する事が多いのでしょうね。
Commented by marinegumi at 2012-06-20 22:33
ヴァッキーノさんこんばんは。
風呂は防湿、防覗き。寝室はやはり防音、防覗き、防臭も要りますかねー(笑)
屋上には防空砲とか。
Commented by 春待ち りこ at 2012-06-21 19:57 x
助けを呼んでも。。。誰にも聞こえないトイレ。。。
確かに音も漏れないし、普段はとってもいいかもと思うけど
トイレで助けを呼びながら、意識を失うなんていうのは
嫌ですね。
それにしても。。。この幽霊。。。
この家にまだ、愛着があるんでしょうね。
未だに住んでいる。。。ってことですよね。
じゃあ、この家を買ったら、幽霊と同居???((+_+))
私もこの家は。。。ちょっと買えません。(笑)

面白かったです。
楽しみました。ありがとっ♪
Commented by marinegumi at 2012-06-21 23:48
りこさんこんばんは。
いくらインターホンを付けてても、故障とか停電とか、それこそ倒れて手が届かないなんて事になると怖いですよねこのトイレ。
家族がいるのに助けを呼べない。
鍵をかけてしまってると最悪ですね。
その事を新しく入る人に伝えたかったんでしょうけど、幽霊になって出て来ちゃだめですよね。
怖くて買うのをやめちゃうでしょう。
まあ、そのトイレの事だけが心残りで、家の周りを霊になって漂っている感じでしょうか?
Commented by 雫石鉄也 at 2012-06-22 13:38 x
いわゆる「奇妙な味」になるかと思いましたが、なるほど怪談に仕立てましたか。しかし、悪意を感じられない幽霊なので「怪談」より「奇妙な味」も感じられました。
ところで、海野さんは7月16日は来られますか?私はもちろん行きます。
http://blog.goo.ne.jp/totuzen703/e/b25ce44bac3020ef78ca2ac8757505cc
Commented by りんさん at 2012-06-22 16:52 x
不動産関係の仕事をしているので、ちょっと気になってしまったんです。
無理なく直っててすご~い^^
Commented by haru at 2012-06-22 20:54 x
新薬を中止することになったので、少し体調が回復してきたような気が
してます。この作品朗読させていただいてもいいですか?
おねがいします。
Commented by marinegumi at 2012-06-22 22:03
雫石さんこんにちは。
最近なんだか書けば怪談に偏ってしまいますねー
読むには奇妙な味が好物ですけどね。

「小松左京に出会う会」は行きたいですけど行けませんね。
7月に入るとがぜん忙しくなってきますからね。
ブログの更新の回数も激減します。
米朝さんのお顔も拝見したいのですが、落語のレコードを聴いている元気なイメージを持っていると、ちょっとそれも怖いような気がしますし。
Commented by marinegumi at 2012-06-22 22:05
りんさんこんにちは。
ありがとうございます。
自分ながらすんなり読めるようになったなー、なんて。
Commented by marinegumi at 2012-06-22 22:10
haruさんこんばんは。
トワゼノン投薬中止ですか。
それに越したことはないと思います(笑)

朗読お願いします。
この作品、これまでになくすいすいと出来上がりました。
その軽い感じがいいでしょうか?
どちらかと言うと陽気な幽霊ですからね。
Commented by konnakanjiyakedo at 2012-06-24 08:12
トイレで思いつかれたんですか。部屋にはそれぞれ、秘密がありそうだと思ってながめると、面白いですね。
Commented by marinegumi at 2012-06-24 17:32
konnakanjiyakedoさんおはようございます。
そうです、トイレで思いついて、トイレから出てすぐに書き始めました(笑)
いつになく早く出来上がり、すっきりしましたねー

それぞれの部屋の秘密ねー
コメントでいただいた、そう言う何げない一言が、ヒントになって作品が生まれる事が最近多いのです。
しかし、最近作はなぜか怪談になるものが多いですね。
今日も一つ考えていたら「あれ?これも怪談じゃん」と思って、これではいけないのではないかとちょっと反省。
Commented by haru123fu at 2012-06-25 20:17
海野さんの詩は全部朗読したつもりでいたのですが、
「永遠にいきたいあなたへ」は、朗読してないような気がします。
朗読しても良いですか?お願いします。m(__)mペコリ
Commented by marinegumi at 2012-06-25 23:51
haruさんこんばんは。
全部朗読しちゃったから、新しいのを書けと言う催促かと思った(笑)
そうですね。
まだ残っていました。
よろしくお願いします。
haruさんの詩の朗読は、完成度が高くていいですよ。
by marinegumi | 2012-06-19 08:05 | 掌編小説(新作) | Comments(18)