ピアノ (5枚)

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部屋にはピアノがあった。
わたしはそのピアノがとても好きだった。
でもわたしにはピアノでまともに弾ける曲は一曲もない。
それはお母さんのピアノだった。
わたしが幼かった頃には毎日のようにお母さんはそれを聞かせてくれた。
ピアノが好きというよりもピアノを聴いているのが好きだった。
またはピアノを弾いてくれるお母さんが好きだったんだ。
それはわたしがお母さんを一日中独り占めできた一番幸せだった頃。
部屋にはピアノの他に暖炉があった。
暖炉の上には写真立てがたくさん飾ってあり、そのどれがも幸せそうな笑顔であふれていた。

暖炉の前にはふかふかのソファーがある。
家族はそのソファーで幸せな時間を過ごした。
わたしは遊び疲れるとそのソファーで眠ってしまう事がよくあった。
だからわたしはベッドで眠る時間よりソファーの上にいる時間の方が長いねとお父さんは笑った。
部屋の隅には木馬があった。
それと並んで木で出来たベビーベッド。
それは私が使っていた物だった。
わたしに弟か妹が出来たらまた使うからねと、お母さんは少し寂しそうに笑って言った。

そう、そのベビーベッドの近くにはいつも飼い犬のココがいた。
ココはスコッチテリアでココアの色をしていた。
そこがお気に入りなのかココはわたしたちが相手になるのをやめると必ずその場所でスタンバイした。
部屋には二つ窓がある。
南側の大きな明り取りの窓と、西側の小さな出窓だ。
大きな窓には蔦が這っていて、夏は日よけになる。
その窓からは気持ちのいい落葉樹の林が見えた。
西側の出窓には……

そこで思い出が途切れる。
西側のあの小さな出窓から見えた物。
何が見えたと言うのだろう。
西側には森があったはずだ。
深い鬱蒼とした森で、西日を完全に遮っていた。
どちらの窓にもお母さんの好きなカナリア色のカーテンが掛けられ、出窓には同じカナリア色のガーベラの鉢植えがあった。
いや、そんなことではない。
ある日、その出窓のガラスのむこうに見えたのは。

わたしはソファーに横になってお母さんの弾くピアノを聞いていた。
わたしが一番好きだったリストの「愛の夢」。
それがいつもと違って悲しそうに聞こえていた。
聞きながらウトウトしていた。
ふと目が覚めると、お母さんがいなかった。
目をこすりながら部屋を見渡す。
ココが外へ出たそうにドアをがりがり引っ掻いている。
わたしはなんとなく出窓に近寄るとそこから外をのぞいた。
お母さんがまるで宇宙遊泳のようにそこに浮かんでいた。
夕暮の風で、右に左に揺れていた。

わたしは今、この部屋で独りぼっちだ。
何もかもわたしの幼い頃と変わらない部屋。
もうこの部屋だけがわたしの全世界なのかもしれない。
この部屋だけがあればいい。
もうひとつ言えば、このピアノさえあれば何もいらない。
ただお母さんにピアノを教わらなかった事が心残りだ。

この部屋に暮らしていながらわたしは西側の小さな出窓が怖かった。
長い間近づけないでいた。
でもいつも窓はわたしを惹きつけるのだった。
そこから外を見る誘惑に襲われる。
そしてとうとうその誘惑に負けてしまった。
わたしは震えながらその窓の前に立つ。
ずっと閉じていたカナリア色のカーテンを両側に開く。
でも、いつも見えていたものはもう見えなかった。
窓ガラスに焼きついてしまっているように、いつも見えてしまうあの場面はもう見えなかった。
ただ漆黒の闇の中に星が輝いていた。
まだ午前中だったはずなのに、窓の向こうは見える限りが星空だった。
その瞬間に気がつく。
もうこの部屋は存在していないのだと。
そしてわたしも同じように存在をやめてしまったのだと。
もう悲しまなくてもよくなったんだと。

宇宙空間に一台のピアノがゆっくりと回転しながら浮かんでいるのが見えるばかりだった。



おわり



ふむふむ。
ツイッター小説を書き伸ばして、5枚ぐらいと言うのが一番書きやすい感じですね。


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Commented by haru123fu at 2013-02-07 21:48
えーっ!死んでしまっていた?霊魂の思い出?
美しい流れるような旋律の文章のその先は。。。びっくり
この不思議な空間を朗読できるかなぁ。。。???
否、私には不可能の文字はない。ただ、下手くその文字はある。

朗読させて頂いてもよろしいでしょうか?お願いします。
Commented by marinegumi at 2013-02-08 08:42
し~
死んでしまっていた、なんて大きな声で言わないように(笑)
最初は死んでいるのかどうかぼかした終わり方だったんですけど、書きなおしました。
あと、おかしかった所を昨晩修正しました。
朗読よろしくお願いします。
Commented by りんさん at 2013-02-08 21:21 x
言葉のひとつひとつが素敵ですね。
外国の古い映画を見ているような感覚です。
いなくなったのは、お母さんではなくて自分だったんですね。
もう悲しまなくていいと、死を受け入れるラストがいいですね。最後の一行も好きです。
Commented by marinegumi at 2013-02-10 13:44
りんさんこんばんは。
あー、なるほど。
海外の映画監督さんで映画化した映像を思い浮かべるとなかなかいいですね。
主人公の幼い頃は金髪巻き毛の美少女でお願いします(笑)
宇宙空間にピアノがなぜ浮かぶのか。
こういうイメージの飛躍はツイッター小説ならではということでしょうか。
ありがとうございました。
by marinegumi | 2013-02-06 17:45 | 掌編小説(新作) | Comments(4)