夏の時計 (11枚)

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  かいすいよくも、キャンプも、花火もみんなあきてしまった。
  夕立やカミナリの音、どこまでも青い空、大きなにゅうどう雲、セミの声。
  そんな夏らしいものはもうたくさんだった。
  たいくつしのぎに始めたしゅくだいも、もうすっかりおわってしまった。
  なんどもなんども見なおしたので答えはカンペキだ。
  絵日記はちゃんときれいにかきなおした。
  夏の思い出であふれかえっている。

  夏休みはもういい。
  新学期よ、どうかはじまってくれ。


長い長い特別な夏休みが始まるその日、いつものように準(じゅん)の心はときめいていた。
これでもう永遠に学校なんかに来なくてもいいような気がした。
そう、一か月以上の休みなんて小学校4年生の少年にとって、ほぼ永遠に等しいのかもしれない。
準は学校の校門を出て後ろを振り向くこともなく下り坂を走って駆け抜けた。
坂の下の広い道に出る時には足に急ブレーキをかけた。
早足で歩く帰り道の通りの両側にはいくつかの商店が点在している。
電気店や、駄菓子屋、文房具店など、みんなおなじみの店だ。
淳の足が止まったのは小さな時計店の前だった。
毎日通っていた道のはずなのに初めて見る店だったけれど、新しく出来たにしてはとても古びた店構えをしている。
木で作られたガラスのはめ込まれた引き戸の向こうは暗かった。
その時計店の小さなショーウインドウの中に見なれない置時計があった。
むっくりと丸いその時計の色は緑がかった青色をしている。
微妙な楕円形の文字盤。
はめ込まれた文字盤のガラスも青みがかっていた。
緑色のデザインされた針は夏の若葉を思わせた。
秒針は滑らかに動き、夏の爽やかな風を思い起こさせた。
「夏の時計だ!」
準は何故かそう思った。
その時計をどうしても手に入れたいと思った。
家に帰ると急いで二階の自分の部屋に駆け上がり、貯金箱を抱えて再び家を飛び出した。
「準くんお帰りなさい」
母親がそう声をかけた時にはもう姿は見えなかった。
人気のない路地の奥で貯金箱を壊し、お金を取り出すと陶器のそれを近くにあったゴミ集積場所に置いた。

時計店の主人は分厚いレンズのメガネをかけたエプロン姿の老人だった。
恐る恐る準が店に入って行くと店の隅で机の前に座って何やら作業をしていたらしい老店主は顔を上げ、メガネをずり下げ、裸眼で彼を見た。
「いらっしゃい、ぼうや」
そう声をかけると老人は準が口を開くのを待った。
「あの。時計が欲しいんです。あの緑色の……」
「ああ、夏の時計だね」
本当に「夏の時計」と言う名前がついているのかと準は思った。
偶然にその時計の値段は、準の貯金箱の中身と同じ金額だった。
店主は奥の棚から緑色の箱を取り出して来て、ショーウインドウのその時計を入れてくれた。
箱にはアルファベットと数字の後に(夏)と文字があった。

準は自分の部屋の机の上にその時計を置いた。
丸っこいその時計を手で触ると不思議な感触がした。
粗悪なプラスチックではなく、しっとりと手になじむ気がした。
音もなく滑らかに動く秒針。
まるで生き物のように息づいている感じがある。
夏の若葉のみずみずしさ。
強い日差しの熱も感じ、手をはなすと爽やかな風を感じた。
この時計は夏の時間を刻んでいる。
それは準が最初にその時計を見た瞬間に思ったことだった。

麦わら帽子の香ばしさ。
夕立の爽快感。
強い日差しを避けた木陰のさわやかさ。
友達の声や笑顔。
セミ取りをする木立の下の期待感。
カブトムシを見つけた時の狂喜乱舞。
浮き輪の中で海の上を漂っている浮遊感。
そんなものを残して、夏の時間は過ぎて行った。
夏の時計は正確に時を刻んでいた。

そしてある日気がつく。
宿題がまだたくさん残っていることに。
絵日記は日を追うごとに簡単な絵になり最後の方はもう適当に思いついたことを描いた。
科学研究は図書館で見た本の、どこかの誰かさんの丸写し。
国語や算数のプリントの半分ぐらいはまだ手つかずだった。
宿題をいやいややっている机の上で、夏の時計は時を刻んでいた。
その時計の色の変化に準はまだ気がついていなかった。
しっとりとした若葉の色だったそれは夏休みの中ごろには鮮やかな深い緑に変わり、間もなく9月を迎える今ではやや黄色味がかっているのだった。

夏休み最後の一日。
窓から見える青空には遠くうろこ雲が浮かんでいた。
半ばやけくそで宿題を消化していた準はとうとう感情を爆発させた。
「もういやだ~!」
と叫ぶなり、机の上にあったものを手で払ったのだ。
部屋の隅まで飛んで行ったノートやプリント。
筆箱の中身はあちこちに散らばっている。
大声を出して少しすっきりしたのか、準はため息をつくと散らばったものを集め始めた。集めて行くうちにあの夏の時計も一緒に払い落としていたのに気がついた。
慌てて床の上から拾い上げたそれを手に取った時、わずかにへこんでいるのを準は見つけた。
そして見ているうちにそのへこみが直るのを不思議に思いながら見ていた。
色は買った時のままの若葉の色に戻っていた。
夏の初めと終わりの変化に気がついてなかった準は当然それにも気がつくはずもなかった。

いやいややる宿題ははかどるはずもなかった。
途中で飽きてしまい、机に突っ伏したり、ベッドに寝転んでマンガ本を読んだりしながらも、また机に向かい、適当に片付けて行った。
何枚かは白紙のままにしたり、いい加減に文字を埋めて行った。
「こんなじゃ、先生におこられちゃうかもな~」
などと呟きながら。

あくる日、準が目覚めるとあたりはやけに静かだった。
準は無表情で、何かに操られているようにベッドから起き上がった。
カーテンを開けると街の家々の向こうに大きな入道雲がわいているのが見えた。
準は出来そこないの宿題を詰め込んだ手提げバッグを持つとふらふらと家を出た。
人気がなく、車も走っていない街を不思議にも思わずに通り抜けて学校にやって来た。
準が学校の校門の前に立った時、彼の後ろで町は元通りの活気を取り戻したが、気がついていなかった。
車の往来が戻り、人々の姿も復活した。
木々のざわめきや小鳥の声も元通りだった。
そして準もその表情を取り戻していた。
校門の門扉はしっかり閉じていて職員室にだけに灯りが点いていた。
先生は来ているようだけれどけれど子供たちの姿はなかった。
準は気がついた。
今はまた夏休みが始まったばかりなんだと。
待ちに待った夏休みの始まりに心をときめかせたたくさんの友達の、そのうきうきした気持ちがまだ校庭のあちこちに残っている。
そんな気配がある夏休み最初の一日だった。

準は坂道を駆け下りるとあの時計店の前にやって来た。
建物はそこにあったけれどガラスのはまった木戸の向こうには白いカーテンが引かれ、ショーウインドウには何もなくホコリが降り積もっているばかりだった。
時計店の看板があったはずの壁にはわずかに白くその跡が残っているばかりだった。

自分の部屋に帰ってくると机の上の時計を手に取った。
両手でそれを包むとわずかな振動を感じた。
そしてなんとなくしんどそうな、かすかなノイズを。
「時計が壊れてしまった」
何故かそうなんだと分かった。
「直してくれる時計屋さんはもういない」

  海水浴も、キャンプも、花火もみんな飽きてしまった。
  夕立やカミナリの音、どこまでも青い空、大きな入道雲、セミの声。
  そんな夏らしい物はもうたくさんだった。
  退屈しのぎに始めた宿題も、もうすっかり終わってしまった。
  何度も何度も見直したので答えは完ぺきだ。
  絵日記はちゃんときれいに描き直した。
  夏の思い出であふれ返っている。

  夏休みはもういい。
  新学期よ、どうか始まってくれ。




おわり




仕事の合間にちょこちょこ書いて、ひとまず出来上がり。

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by marinegumi | 2016-09-19 13:49 | 掌編小説(新作) | Comments(0)