リンちゃんの鉄塔 (10枚)
リンちゃんがいなくなった。
リンちゃんはぼくと同じ小学三年生だった。
歩いて十分ぐらいの商店街に住んでいるのだけれど、学区がギリギリで違うらしくて隣町の小学校へ行っているのだ。
でも公園でよく一緒になるのでいつの間にか仲良くなった。
名前は凛太郎と書くみたいで、男らしい名前だとは思うけれど「リンちゃん」と呼ばれるのは女の子みたいでいやだと、リンちゃん自身がよく言っていた。
でもそのニックネームがよく似合う、女の子みたいな優しい顔と、少し栗色がかった柔らかい髪の毛をしていた。
そのリンちゃんがいなくなったのは、ぼくと一緒によく遊んだ公園でだった。
その日はリンちゃんの三歳の妹が公園に行きたいと言い出して、お母さんが二人を連れて来ていたのだと言う。
リンちゃんはジャングルジムが好きだった。
ブランコでもなくすべり台でもなく、どんな遊具よりもジャングルジムの上にいることが多かった。
お母さんが妹を砂場で遊ばせているときにもリンちゃんはジャングルジムの上にいたと言う。
妹が砂が付いた手でこすってしまい目が痛いと言い出したので水道の所に洗いに行ったのだ。
ほんの五分ほどで戻ってきたらもうリンちゃんの姿がなかったらしい。
公園中を探し回り、夕暮れまで近所の知り合いの家を訪ねて回り、それでも見つからなくて夜遅くになって警察に届けた。
それからもう三ヶ月が過ぎたけれどリンちゃんは見つかっていない。
なんの手がかりもなく、ただ消えてしまうみたいにいなくなってしまったのだ。
一人っきりでベンチに腰掛けていると自転車のブレーキの音がした。
振り向くと、ぼくの向かいの家に住んでいる大学生のお兄さんがいた。
学校帰りみたいで、自転車にはスポーツバッグが積んである。
「よう。一人で何してんだ?」
「うん、ちょっとね」
「もうすぐ日が暮れるから早く家に帰れよ。子供がここで行方不明になってるしな」
そう言ってお兄さんは手を上げると行ってしまった。
ぼくはリンちゃんが三ヶ月前に、いなくなった公園に一人で来ている。
三ヶ月前と言うと公園のイチョウの大木はその黄色い葉っぱを盛んに落として、公園が一面に黄色く敷き詰められていた。
今ではもうイチョウの木は丸裸だ。
冷たい風の吹く青空に太い幹からたくさんの細い枝を伸ばして立っていた。
木を見上げると、自然に鉄塔が目に入る。
その公園のとなりの金網で仕切られた土地に大きな大きな鉄塔が立っていたんだ。
真下から見上げているとすぐに首が痛くなりそうな高い鉄塔だった。
遠くの山の上に立っている鉄塔から長い長い送電線を中継している鉄塔の一つだった。
そう、リンちゃんは鉄塔が好きだった。
ジャングルジムに登りながらきっとあの鉄塔に登る自分を想像していたのかもしれない。
ジャングルジムのてっぺんの鉄の棒に足を掛け、両手を離しながら立ち上がり、大きく手を広げて立っていたリンちゃん。
「あぶないよ」と声をかけるとニッコリと笑ってぼくを見下ろしたっけ。
ジャングルジムの上と下で、いつかこんな話をしたことがある。
リンちゃんは送電線を見上げながら言った。
「人間の魂ってさ、きっと電気なんだぜ」
「電気?」
ぼくが変な顔をしているのを見てくすりと笑った。
「ほら、病院で検査なんかする時さあ、心電図とか取るじゃん? それから脳波とかさ。あれは脳から出ている弱い電波を記録するんだよ」
「そう言えばそうだね」
ぼくはその時リンちゃんの家が電気屋さんだったのを思い出した。
「もうすぐさあ、寝ている時の脳波を分析してどんな夢を見ているのか判るらしいよ。夢を画面に写したりさ。それからさ、モビルスーツなんてさ、脳波を増幅すれば考えるだけで操縦出来るようになると思うよ」
「へええ?」
「だからさ、人間の魂ってさ、電気だと思うんだ」
話はそこに戻ってきた。
「デンキウナギっているじゃん」
「知ってるよ。感電したら人間でも死んじゃうとか」
「人間も体のどこかで電気を起こしてるんだよね。それが魂なんだ。エネルギー不変の法則ってあるだろ。電気もエネルギーの一種だから人間の魂だってきっと不滅だと思うんだ。体がなくなってもさ」
話がよく分からなくなってきていた。
リンちゃんは急に話すのをやめてしばらく青空を横切る送電線を見上げた。
そしてポツリと言った。
「あの送電線に乗って、どこまでも行ければいいな」
そんな話をしたのはいつだったんだろう。
目を閉じて思い出してみる。
イチョウの葉っぱは緑だった。
リンちゃんはジャングルジムの上に座って少し汗をかいていた。
遠くから蝉の声が聞こえてもいた。
あれは夏だったんだ。
秋の日にいなくなってしまったリンちゃん。
そして今はもう冬だ。
手袋なしで触るのがつらいほど冷たくなっているジャングルジムをぼくは登った。
リンちゃんと違ってぼくは高いところが苦手だった。
それでも登ってみたいと思った。
りんちゃんの目の高さになってみたかったんだ。
一番上まで上がったら下から見上げる以上に高い気がした。
ぼくは一番上の横棒に腰掛けて両手で体を支えていた。
とても立ち上がって手を離したりは出来なかった。
裸のイチョウの木を見上げ、目を移してもっと高い鉄塔を見上げた。
鉄塔の外側にはなんだかトゲみたいなものがいっぱい生えていた。
それはよく見るとどうやら短い鉄の棒らしい。
鉄塔の大きさに比べて、ものすごく小さいのでよく見ないとわからなかったけれど、それはきっと人間が登るための取っ手だと思った。
ちゃんと登れるようにしてあるんだ。
途中には鉄骨で作られた四角い囲いみたいなものもある。
底は金網になっていた。
人が登っている途中にそこで一休みするんだろうか。
上の方では風車(かざぐるま)みたいなものがいくつもくるくる回っていた。
そしてそのもっともっと上の方。
大きなガイシが並んで送電線が伸びている少し下に小さな人らしいものが見えた。
子供だった。
外側に並んだ取っ手に掴まって一つ一つ、身軽に、驚くほど早く登っているのだ。
「リンちゃん!」
ぼくは大きな声を上げていた。
その子供はリンちゃん以外の誰でもあるはずがなかったんだ。
あわててジャングルジムを降りると公園を出て鉄塔を囲んだ金網フェンスまで走った。
フェンスはとても高くて子供では乗り越えられそうもない。
でもリンちゃんはあの鉄塔を登っていた。
ものすごく高い所にいるはずなのに、まめつぶよりも小さいのに、ぼくにはリンちゃんの様子が手に取る様に判った。
そのとき、リンちゃんがぼくを見ていたのだ。
「リンちゃ〜ん。降りてこいよ〜!」
ぼくは精一杯の大声を出した。
「みんな心配してたんだよ〜! 帰ってこいよ〜!」
リンちゃんはとうとう電線の上に乗っかって綱渡りのように両手を広げて歩き始めた。
ぼくは慌てて後を追いかけた。
もちろん道路の上をだ。
そのスピードはとても速くて追いかけるのが大変だった。
もちろんリンちゃんはずっと直線だったし、ぼくはジグザグに道路を走らなければいけなかったというのもあるけれど、それにしてもリンちゃんは速かった。
車の多い道路を渡り、住宅街を抜けて小高い丘の上までやって来た。
新しい住宅街を見下ろす、その林の中にもう一つの鉄塔が立っていた。
そしてリンちゃんはその鉄塔の近くの電線に腰掛けてぼくを待っていた。
リンちゃんはその髪の毛を少し強くなった風になびかせ微笑んでいた。
そして下の方を指差していたんだ。
ぼくの足元の方を。
「なんだよ〜! リンちゃんてば。降りてこいよ!」
気がつくとぼくは腹を立てながら涙を流していた。
ボロボロ泣きながら大声で叫んだ。
「リンちゃ〜ん!!」
ふとリンちゃんは立ち上がった。
そして両手を肩の高さまで上げてぼくに向かってゆっくりと振った。
するとリンちゃんの体は明るく輝き始めた。
息を飲んで見守っているうちに、パリパリと言う奇妙な音がするとリンちゃんの体は透明になり小さなオレンジ色のいなびかりに包まれてゆらりとゆれた。
そしてそのまま電気の放電に姿を変えて空中に浮かんでいたと思うと、急に送電線に吸い込まれてしまったのだ。
その送電線の一部がオレンジ色に輝きながら、ものすごいスピードで山の上の次の鉄塔目指して走って行ってしまった。
しばらくぼんやりしていたぼくはふと我に返ってリンちゃんが指差していた所を見た。
鉄塔のそばを流れる細い川が、丘に埋められた太い土管の中に流れ込んでいる。
ぼくは胸騒ぎがした。
とても中に入ってみる勇気は出なかった。
次の日、ぼくはあの大学生のお兄さんに頼んでその場所に一緒に行ってもらった。
もちろん強力なLEDライトを持って。
理由を何も言わなくてもぼくの表情を見てお兄さんは付いてきてくれたのだ。
その大きな土管を五メートルほど入った所に鉄の格子に引っかかっている見覚えのある服を着たリンちゃんを見つけた。
お兄さんは慌ててぼくの手を引いて土管から出て警察に連絡をしてくれた。
何もかもがまるで夢の中の出来事のようだった。
何日か後、お兄さんは「リンちゃんは誘拐されて殺されちゃって、あそこに捨てられたのかもしれないね」と言った。
「まあ、これから警察が調べて行けば色々判ってきて、もし犯人がいるのならきっと捕まるよ」
ぼくは違うと思った。
リンちゃんは鉄塔に昇りたかったんだ。
公園のそばの鉄塔に登るのは大人の目があって無理だから、この丘の上の鉄塔を登ろうとしてやって来たんだ。
そして、登っている途中で足を滑らせたのか、もう力が続かなかったのか、あの川に落ちてしまったのに違いないんだ。
馬鹿だよリンちゃんは。
もうそれしかぼくは信じない。
警察やテレビが言っていることなんてどうでもいい。
ぼくはそれしか信じない。
おわり
ツイッターで「鉄塔物語」のタグで書いた十数本のツイッター小説をなんとなく頭に置いて書いた作品です。
最近になく乗って書けましたね。
10枚をほぼ一気書き。
写真は、いま入院中の病院の真ん前にある鉄塔です。
もう一枚写真をアップ。
これは病室の窓から桜の木ごしに見える同じ鉄塔です。
上の写真は向こう側から撮ったんですよね。
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by marinegumi | 2016-12-09 10:06 | 掌編小説(新作) | Comments(0)