少年は昨日の晩、その場所に一つの明かりを見たように思った。

少年の部屋の窓からは、船舶の解体工場が遠くに見えた。
赤さびた金属の船がいくつも係留されているその場所は、船の墓場と呼ぶのがふさわしい所だった。
もう海へは決して出る事のない用済みになった船たちが連れて来られる場所。
年老いた船が最後にたどりつき、解体され、鉄くずになるのをただ待っている、そんな場所だった。

少年が昨日の夜に、窓からその解体工場のあたりを見ている時、小さな明かりが一つ灯っているのが見えた。
とても温かそうで、懐かしく心なごむ色をした明りだった。
そのあたりには人家はなく、間違いなくその解体工場の船のどれかに灯った明かりだとしか考えられないと少年は思ったのだ。
少年の家の前は深く入り込んだ海の入り江になっていて、その向こう岸に解体工場はあった。
明かりは波面に縦に長く写って、少年が眠りにつくまで、ゆらゆらと揺れて見えていた。

少年の父親は、海上保安庁の巡視艇の艇長だった。
奄美大島沖をパトロール中、国籍不明の漁船が座礁して動けなくなっているのを発見して、巡視艇わだつみは近づいて行った。
拡声器で呼びかけて、ロープで曳航する旨を伝えた上でさらに接近したところに、いきなり機関銃で銃撃された。
漁船に偽装した武装した不審船だった。
すぐに応戦したわだつみは不審船を大破し撃沈したのだが、不審船の機関銃は的確に操舵室を捉えていたのだ。
操舵室は大破し、艇長と舵手の二人が死亡した。
その時のわだつみの艇長が少年の父親で、当時少年は七歳だった。

それ以来、少年は母親と二人暮らしだ。
母親は、それまで家の部屋に父親が飾っていた巡視艇や、さまざまな船の写真を、父親が亡くなってから間もなく全部処分してしまった。
海や、船という言葉に敏感になり全て遠ざけるようになったのだ。
テレビさえ、海に関する番組が始まるとチャンネルを変えてしまうほどに。
しかし、少年は海への憧れを持ち続けていた。
父親から聞いた海の素晴らしさ、船の上の生活や、専門技術的な話さえも面白く聞き、いつか自分も必ず船に乗りたいと思うようになっていたのだった。

少年が十歳の時に学校で宿題に出された「将来つきたい職業」という作文には、迷わずに巡視艇の乗組員と書いた。花丸をもらったその作文を、少年は母親に見せなかった。
少年が船に乗りたいという希望を持っている事を知ったら母親がどう思うのか少年にはよくわかっていたのだ。
しかし、少年の担任が母親に、その作文の事を褒める電話をしたために、見せざるを得なくなってしまった。
それを読んだ母親は何も言わなかった。
ただ、悲しそうな眼を少年に向けただけだった。
その沈黙で少年は母親が父親の死から来る海や船を嫌う気持ちを乗り越えつつあるのかもしれないという期待を持った。

少年は日曜日の夕方、入り江を自転車でぐるっと回り、船舶解体工場までやって来た。
解体工場へ入る門は出来合いの立派なものではなく、あり合わせの鉄骨と鉄板でその工場で作られたみすぼらしいものだったが、侵入者を防ぐには必要以上に頑丈だった。
しかし、干潮の時間帯には海水が引き、泥の混じった砂の上を歩いて行けば中へ簡単に入れた。
そこに係留され、解体の順番を待っている船は三隻だった。
一隻は貨物船で、すでにマストもなくなり、甲板上の構造物も多くが取り払われていた。
二隻目は観光船か、島と島の渡しにでも使われたような、小型の客船だった。
もう一隻は海での様々な工事に活躍したであろう作業船だ。
ひときわ船橋が高く、船の全長が短い、速く小回りのきく船だ。
少年はその船と少年の家との角度から、昨日の夜に見えた明かりはこの船の窓に灯っていたと確信していた。
潮は今が一番引いていて、その作業船までは歩いて近づけた。
船首は泥混じりの砂浜にめり込んでいて、船尾の方は浅い海水の中に浸かって、大きく左に傾いていた。
次第に黄昏に染まりつつある空の光を逆光に受けたその船のシルエットは、少年に寂寞とした感情を呼び覚ました。
「もう、この船は海に出る事はないんだな」
少年のそのつぶやきは、ところどころがかすれて声にならなかった。

少年は、十二歳になった頃から、船の雑誌をよく買うようになり、カレンダーや写真も、好んで船の物を選んだ。
少年の海に対する思い、船に対するあこがれはますます強くなって来ていた。
ある日の事、少年は自分の部屋で、小遣いで買った船のプラモデルを作っていた。
それは父親が乗っていた巡視艇と同じクラスの模型だった。
ほぼ完成したそれを手に取って眺めているところへ母親が入って来たのだ。
「お母さんはね、あなたに船の乗組員になってほしくないのよ。それぐらいわかってくれてると思っていたのに」
いきなりそう言われてショックを受けた少年は、一度も母親に言った事のない言葉を返していた。
「いやだよ!ぼくは絶対に船に乗るんだ。海で働きたいんだ。お父さんと同じように巡視艇に乗る」
「巡視艇」という言葉にびくっと反応した母親は、涙を流しながら訴えた。
「だめです!あなたは絶対に船には乗せません。お父さんの事を考えてごらん」
「わかったよ!」言いながら少年は、巡視艇のプラモデルを母親の足元に叩きつけた。
プラモデルは壊れ、小さな部品が飛び散った。

そんな事があってから二日後、少年は解体場に、夜灯る明かりを見たのだった。
それは懐かしく、温かく、そして心がときめくような希望に満ちた明かりのように思ったのだ。

少年は作業船から垂れ下がっているロープをつかんで登り始めた。
作業船の船体に足をかけて、腕の力でロープを手繰り手繰り登って行った。
腕がしびれ、手のひらが痛くなって自分が落ちる場面を想像し始めた時にやっと甲板へ上がれた。
そして胸をときめかせてあたりを見回した。
そこは想像と違い、何とも雑然とさまざまな船の部品だったものが転がり、どれもが赤くさびていた。
甲板も腐食して、ところどころはがれかけて下の船の中の暗闇がのぞいていた。
それでも少年は船橋へ上がろうとした。
しかし上へ行く階段はとっくに取り払われ、とても上がれそうになかった。
下から見る操舵室も、いろんな機器はすでに取り外され舵輪もすでになかった。
ガラスは壊れ、とても船の中だとは思えないほど壊されていた。
少年は今度は下へ向かった。
これはまだ残っていた狭い梯子状の階段を船倉へと降りて行った。
そこの状態はさらにひどかった。
わずかに光が差し、うす暗く見えるそこには、すでにもう船のどこを形作っていたのかも定かではないさまざまな形の金属や木の残骸が折り重なっていた。
少年はその中に昔、海で死んだ船員の骨が混ざっていたとしても不思議ではないと思っていた。
「そうだよね。もう海へは出られないよね」
殆んど声には出さずに少年はつぶやいた。
少年には解ってしまった。
こんな船に何もあるはずがない。
ただ、だらしなく解体を待つだけの船には。
昨日見たあの明かりは何だったのだろう?
ただの見間違い、ただのまぼろし…何かそんなものだったのだ。

少年は作業船から降りて来た。
手足にいくつも擦り傷を作って、血がにじんでいる。
空はすでに黄昏色に染まり、冷たい風が吹き始めていた。
少年は船から少し離れ、全体が見えるところまで歩いた。
そして、作業船のシルエットを眺めていた。
少年の耳には船の銅鑼(ドラ)の音がかすかに聞こえる。
船の出航の銅鑼の音が。

スピーカーからは「蛍の光」の演奏。
七色のテープが無数に投げられて船の上の人と港に残る人との間で風に揺れている。
人々の歓声はいつまでもやまず、紙吹雪が舞い、船はゆっくりと黄昏の海へと船出してゆく。
最後のテープもちぎれ、船は遠ざかり、それでもまだ人々は声を上げている。
少年は走った。
遠ざかる船に少しでも近づこうと、手を振りながら突堤を力いっぱい走っていた。

それがいつの事だったのか定かではなかったが、その日から少年は海への憧れを抱くようになったのだ。
しかし、その日と同じように、今、船は遠ざかって行くばかりだった。

海は黄昏に染まり、間もなく闇に呑まれようとしていた。

a0152009_23364960.jpg





                      おわり





これも昔の作品を、大幅に書き直しました。
ページ数は3倍以上になったかな?
漫画にしたこともありますよ。
巡視艇「わだつみ」は本当にはありません。
「わだつみ」と言うのは、深海調査の潜水艇の名前ですね。

書いて、校正もほとんどせず、即ブログにアップ。
時々見に来て、おかしな所はどんどん直して行きます。


クリックお願いします↓
にほんブログ村 小説ブログ 短編小説へ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ
[PR]
by marinegumi | 2010-10-28 23:45 | 短編小説(旧作改稿) | Comments(4)

a0152009_2348233.jpg

少年がひとり、ぽつんと取り残された砂浜。
波打ち際の湿った白い砂には、波が描いた曲線模様が現れてはまた消えていく。
休むことなく寄せては返す波の音。
その波のしぶきを巻き上げ、少年に叩きつける風。
そんな音の中で、少年の心は空白だった。
耳には届いていても、少年の心の中までは届いていないのだ。

何か少年には言葉にしたいものがあったはずだった。
いろんなことが頭の中で渦巻いていた。
そんな「何か」をふっ切りたくて、こんな砂浜まで少年はやってきたはずだった。
大声で叫びたかったのかもしれない。
でも、何と声にすればいいのか、言葉が思い浮かばなかった。
そしてそのまま無言で砂浜に立ち尽くしていた。
いつまでも。




少年が体を悪くして、都会の喧騒から逃れて、この海辺の町へやってきたのは、冬が終わろうとしていた頃だった。
長く暖かな春をすごし、やがて夏が始まる頃に初めてこの砂浜にひとりで遊びに来た。

何度か足を運ぶうちに、殆どの学校は夏休みに入っていた。
そんな夏休みに、親戚の家に遊びに来ていたひとりの少女と、その砂浜で出会ったのだった。

少年は石を投げて水面をジャンプさせるのが得意だった。
川へ行ったときは必ずそんな遊びをした。
波打ち際を見て、その事を思い出した少年は、石を拾って投げてみた。
石はひとつだけ跳ねて少々高い波に飲み込まれてしまった。
何度やっても川のようにはうまくいかなかった。

あきらめた少年は、今度は、砂浜に流れ着いた空き缶を拾い、岩の上に置いてかなり離れた距離からそれを狙って石を投げ始めた。
なかなか当たらなかった。
何度目かに石を投げた時、ずいぶんタイミングが遅れて空き缶は音を立てて倒れた。

「くすっ」という笑い声が聞こえた。
声のほうへ目をやると、一人の少女が石を弄びながら少年の方を見ていた。
「きみが?」
少年が聞くと、少女はもう一つ持っていた、握りこぶしほどのその石を海のほうへ投げた。
驚くほど遠くで、それは海に落ちた。
「ソフトボール部だよ」と少女は言う。
本当に健康そうな、生き生きとした笑顔だった。
「きみは、何かスポーツやってるの?」
「いや」
「だよねー、夏なのに青白い顔してさ。わたしの腕と、ほら、君の腕の色を比べてみてよ」
と、少女は少年の腕に自分の腕をくっつけて来た。
少年の腕のほうが、ずいぶんと白かった。
少年は思わず手を引っ込める。
「あ、ごめん。気を悪くした?」と、真顔になって少女が言った。
「いや、違うよ」
腕がくっついているのが気恥ずかしかったのだ。

それから二人はよく、一緒に遊ぶようになった。
決まってこの砂浜で。
少女は少年と同じ10歳だった。
絵が得意だった少年は、砂浜に棒で絵を描いたり、拾った石に絵の具で色を付け、魚やいろんな動物を描いては岩場の上に並べた。
「動物園だ!」と少女は言った。
「もっとたくさん描こうよ」

ある時は、少女が持ってきたボールで無理やりキャッチボールをさせられた。
少年は少女の活発さに圧倒されるばかりだった。

元気すぎる、笑顔が愛くるしい少女を少年は好もしく思っていた。
そして、その感情が何かまた別の感情に変化しかけているような、まどろっこしさにも気がつき始めていた。
夏休みが終わるにはまだまだ日があった。
しかし、少女が帰る日がすぐそこまで迫っていた。

「あした、帰るよ」と少女は言った。
「きみはまだまだこの街にいるんでしょ?」
「うん、そうだよ」と少年はぶっきらぼうに答える。
砂浜に並んで二人は腰をおろしていた。
「私が帰っちゃうと寂しい?」と足を抱えた日焼けした腕と髪の毛の間から、いたずらそうな目で見て言った。
「別に寂しくなんかないよ!」
少年は、思ってもいなかった事を口にしている自分に驚いていた。
「なんだと!」と少女は頬笑みながら少年の半ズボンから出ている足をつねった。
「寂しいって言え!」
「痛いよ、やめろってば~」
少女は何度も少年の足をつねる。
それも思いっきりだ。
少年はそれを手で払いのけるが、何度も何度も攻撃され、あまりの痛さに少女の両手をつかんで辞めさせた。
すると、少女の顔が目の前にあった。
そのまましばらく見つめあっていた。
少女の息遣いが聞こえる。
頬に付いたわずかの砂粒。
くっきりときれいな二重のまぶたに、すっとのびた濃いまつげ。
少年は少女を初めて見たかのように目が離せなかった。
少年がつかんでいた手を少女は一度離させて、今度は両方の手と手を握り合った。
でも、それ以上、二人とも、どうすればいいのか分からなかった。
二人とも、ほんの子供だったのだ。




少女がいなくなってしばらくたったある日。
少年は少女が遊びに来ていた親戚の家の前を偶然通りかかった。
あけっぱなしの家の奥から、女の人の電話の声が聞こえてきた。
「そうなの?それはかわいそうだったわね」
少年は、それだけを聞いてあの少女のことだと直感してしまった。
「しかたないわね…」しばらく無言。
「まだ、10年しか生きてないのにね」
少年も同じ10歳だった。
少年はそれだけの会話で、すべてを悟っていたのだ。

少年は砂浜へやってきた。
少女と遊んだ痕跡を何か見つけたかったのだ。
当たり前のように何も残っていなかった。
砂浜の絵はとっくに、波がかき消していて絵を描いた石は、波がすっかり絵の具を洗い流していた。

目を上げると水平線が不自然なほどまっすぐに続いているばかり。
何も見えない。
島影も、小さな船も海鳥も、何も見えなかった。

  体が悪いのは僕のほうのはずだった
  きみは誰よりも健康で、生き生きしていたと思っていたのに

  あのとき、僕はきみにキスをすればよかったんだ

と、少年は思った。
そしたらただの仲良しじゃなく、恋人になれたのかもしれないと。

少年は孤独だった。
生まれて初めて、本当に一人ぼっちなんだと思った。

しばらく砂浜に立ち尽くしていた少年は右手の人差し指を立てて、すっと上へ伸ばした。
水平線の上あたりにその指先で、大きな船の形を描いた。
するとそこには船があり、海を進んで行くのが少年には見えた。
船の次は、島を描いた。
空にはカモメを、アホウドリを何羽も描き加えた。
曇った空は青空に描き直し、お日さまを描き、海からはいろんな魚が顔を出し、ジャンプしているイルカや、潮を吹くクジラも描きくわえた。
少年にとって、海と空は1枚のキャンパスだった。

  こうやってたくさんの絵を描き加えていけば、もう寂しいなんて言うことはない
  もうちっとも孤独じゃない、一人ぼっちなんかじゃない

と、少年は思った。

少年は、さらに描き続けた。
描くものがなくなると、あり得ないものまで描き加えた。
空にはUFO、海からゴジラ、島の上には巨大タコ。
ありとあらゆるものを、思いつく限り少年は描き続けた。




少年は一人ぼっちだった。
やっぱりコドクなんだと思い知らされていた。
もうとっくに日は落ちて、あたりは真っ暗になっていた。
少年が描き続けた、たくさんの絵は、すっかり闇の中に葬られてしまっていたのだ。
自分の体さえ闇にすっぽりと包まれていた。

そして、潮騒の音だけが闇の中で、いつまでも聞こえていた。



                         おわり









はい、今回は、かなり古い作品を持ち出してきましたよ。
書きなおして、長さは原型の3倍ぐらいになっているのかな?

毎回そうなんですが、時々読み返し、表現がおかしなところを発見すると、その都度、書きなおします。
また、書き足したり、表現を変えたり、結構何回も手を入れますよ。


にほんブログ村 小説ブログ 掌編小説へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ
[PR]
by marinegumi | 2010-10-02 23:17 | 短編小説(旧作改稿) | Comments(0)