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海野久実が掌編小説やら短編小説を書いています。タイトルの後に原稿用紙換算の(枚数)があるのが小説です。


by marinegumi
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<   2010年 10月 ( 10 )   > この月の画像一覧

少年は昨日の晩、その場所に一つの明かりを見たように思った。

少年の部屋の窓からは、船舶の解体工場が遠くに見えた。
赤さびた金属の船がいくつも係留されているその場所は、船の墓場と呼ぶのがふさわしい所だった。
もう海へは決して出る事のない用済みになった船たちが連れて来られる場所。
年老いた船が最後にたどりつき、解体され、鉄くずになるのをただ待っている、そんな場所だった。

少年が昨日の夜に、窓からその解体工場のあたりを見ている時、小さな明かりが一つ灯っているのが見えた。
とても温かそうで、懐かしく心なごむ色をした明りだった。
そのあたりには人家はなく、間違いなくその解体工場の船のどれかに灯った明かりだとしか考えられないと少年は思ったのだ。
少年の家の前は深く入り込んだ海の入り江になっていて、その向こう岸に解体工場はあった。
明かりは波面に縦に長く写って、少年が眠りにつくまで、ゆらゆらと揺れて見えていた。

少年の父親は、海上保安庁の巡視艇の艇長だった。
奄美大島沖をパトロール中、国籍不明の漁船が座礁して動けなくなっているのを発見して、巡視艇わだつみは近づいて行った。
拡声器で呼びかけて、ロープで曳航する旨を伝えた上でさらに接近したところに、いきなり機関銃で銃撃された。
漁船に偽装した武装した不審船だった。
すぐに応戦したわだつみは不審船を大破し撃沈したのだが、不審船の機関銃は的確に操舵室を捉えていたのだ。
操舵室は大破し、艇長と舵手の二人が死亡した。
その時のわだつみの艇長が少年の父親で、当時少年は七歳だった。

それ以来、少年は母親と二人暮らしだ。
母親は、それまで家の部屋に父親が飾っていた巡視艇や、さまざまな船の写真を、父親が亡くなってから間もなく全部処分してしまった。
海や、船という言葉に敏感になり全て遠ざけるようになったのだ。
テレビさえ、海に関する番組が始まるとチャンネルを変えてしまうほどに。
しかし、少年は海への憧れを持ち続けていた。
父親から聞いた海の素晴らしさ、船の上の生活や、専門技術的な話さえも面白く聞き、いつか自分も必ず船に乗りたいと思うようになっていたのだった。

少年が十歳の時に学校で宿題に出された「将来つきたい職業」という作文には、迷わずに巡視艇の乗組員と書いた。花丸をもらったその作文を、少年は母親に見せなかった。
少年が船に乗りたいという希望を持っている事を知ったら母親がどう思うのか少年にはよくわかっていたのだ。
しかし、少年の担任が母親に、その作文の事を褒める電話をしたために、見せざるを得なくなってしまった。
それを読んだ母親は何も言わなかった。
ただ、悲しそうな眼を少年に向けただけだった。
その沈黙で少年は母親が父親の死から来る海や船を嫌う気持ちを乗り越えつつあるのかもしれないという期待を持った。

少年は日曜日の夕方、入り江を自転車でぐるっと回り、船舶解体工場までやって来た。
解体工場へ入る門は出来合いの立派なものではなく、あり合わせの鉄骨と鉄板でその工場で作られたみすぼらしいものだったが、侵入者を防ぐには必要以上に頑丈だった。
しかし、干潮の時間帯には海水が引き、泥の混じった砂の上を歩いて行けば中へ簡単に入れた。
そこに係留され、解体の順番を待っている船は三隻だった。
一隻は貨物船で、すでにマストもなくなり、甲板上の構造物も多くが取り払われていた。
二隻目は観光船か、島と島の渡しにでも使われたような、小型の客船だった。
もう一隻は海での様々な工事に活躍したであろう作業船だ。
ひときわ船橋が高く、船の全長が短い、速く小回りのきく船だ。
少年はその船と少年の家との角度から、昨日の夜に見えた明かりはこの船の窓に灯っていたと確信していた。
潮は今が一番引いていて、その作業船までは歩いて近づけた。
船首は泥混じりの砂浜にめり込んでいて、船尾の方は浅い海水の中に浸かって、大きく左に傾いていた。
次第に黄昏に染まりつつある空の光を逆光に受けたその船のシルエットは、少年に寂寞とした感情を呼び覚ました。
「もう、この船は海に出る事はないんだな」
少年のそのつぶやきは、ところどころがかすれて声にならなかった。

少年は、十二歳になった頃から、船の雑誌をよく買うようになり、カレンダーや写真も、好んで船の物を選んだ。
少年の海に対する思い、船に対するあこがれはますます強くなって来ていた。
ある日の事、少年は自分の部屋で、小遣いで買った船のプラモデルを作っていた。
それは父親が乗っていた巡視艇と同じクラスの模型だった。
ほぼ完成したそれを手に取って眺めているところへ母親が入って来たのだ。
「お母さんはね、あなたに船の乗組員になってほしくないのよ。それぐらいわかってくれてると思っていたのに」
いきなりそう言われてショックを受けた少年は、一度も母親に言った事のない言葉を返していた。
「いやだよ!ぼくは絶対に船に乗るんだ。海で働きたいんだ。お父さんと同じように巡視艇に乗る」
「巡視艇」という言葉にびくっと反応した母親は、涙を流しながら訴えた。
「だめです!あなたは絶対に船には乗せません。お父さんの事を考えてごらん」
「わかったよ!」言いながら少年は、巡視艇のプラモデルを母親の足元に叩きつけた。
プラモデルは壊れ、小さな部品が飛び散った。

そんな事があってから二日後、少年は解体場に、夜灯る明かりを見たのだった。
それは懐かしく、温かく、そして心がときめくような希望に満ちた明かりのように思ったのだ。

少年は作業船から垂れ下がっているロープをつかんで登り始めた。
作業船の船体に足をかけて、腕の力でロープを手繰り手繰り登って行った。
腕がしびれ、手のひらが痛くなって自分が落ちる場面を想像し始めた時にやっと甲板へ上がれた。
そして胸をときめかせてあたりを見回した。
そこは想像と違い、何とも雑然とさまざまな船の部品だったものが転がり、どれもが赤くさびていた。
甲板も腐食して、ところどころはがれかけて下の船の中の暗闇がのぞいていた。
それでも少年は船橋へ上がろうとした。
しかし上へ行く階段はとっくに取り払われ、とても上がれそうになかった。
下から見る操舵室も、いろんな機器はすでに取り外され舵輪もすでになかった。
ガラスは壊れ、とても船の中だとは思えないほど壊されていた。
少年は今度は下へ向かった。
これはまだ残っていた狭い梯子状の階段を船倉へと降りて行った。
そこの状態はさらにひどかった。
わずかに光が差し、うす暗く見えるそこには、すでにもう船のどこを形作っていたのかも定かではないさまざまな形の金属や木の残骸が折り重なっていた。
少年はその中に昔、海で死んだ船員の骨が混ざっていたとしても不思議ではないと思っていた。
「そうだよね。もう海へは出られないよね」
殆んど声には出さずに少年はつぶやいた。
少年には解ってしまった。
こんな船に何もあるはずがない。
ただ、だらしなく解体を待つだけの船には。
昨日見たあの明かりは何だったのだろう?
ただの見間違い、ただのまぼろし…何かそんなものだったのだ。

少年は作業船から降りて来た。
手足にいくつも擦り傷を作って、血がにじんでいる。
空はすでに黄昏色に染まり、冷たい風が吹き始めていた。
少年は船から少し離れ、全体が見えるところまで歩いた。
そして、作業船のシルエットを眺めていた。
少年の耳には船の銅鑼(ドラ)の音がかすかに聞こえる。
船の出航の銅鑼の音が。

スピーカーからは「蛍の光」の演奏。
七色のテープが無数に投げられて船の上の人と港に残る人との間で風に揺れている。
人々の歓声はいつまでもやまず、紙吹雪が舞い、船はゆっくりと黄昏の海へと船出してゆく。
最後のテープもちぎれ、船は遠ざかり、それでもまだ人々は声を上げている。
少年は走った。
遠ざかる船に少しでも近づこうと、手を振りながら突堤を力いっぱい走っていた。

それがいつの事だったのか定かではなかったが、その日から少年は海への憧れを抱くようになったのだ。
しかし、その日と同じように、今、船は遠ざかって行くばかりだった。

海は黄昏に染まり、間もなく闇に呑まれようとしていた。

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                      おわり





これも昔の作品を、大幅に書き直しました。
ページ数は3倍以上になったかな?
漫画にしたこともありますよ。
巡視艇「わだつみ」は本当にはありません。
「わだつみ」と言うのは、深海調査の潜水艇の名前ですね。

書いて、校正もほとんどせず、即ブログにアップ。
時々見に来て、おかしな所はどんどん直して行きます。


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by marinegumi | 2010-10-28 23:45 | 短編小説(旧作改稿) | Comments(4)

きずな  (5枚)

 彼がその「症状」に悩まされ始めたのは、それほど前の事ではなく、今の会社に入って間もなくだったようだ。彼は何度も、またいくつもの精神科にかかったが、医者はいつも首をかしげるばかりだった。似たような症例は聞いたこともないと言われ、適当な治療法としては、ただ休暇を取ってしばらく仕事から離れる事を勧められた。

 今、彼は医者に勧められるままに都会を離れ、辺鄙な田舎の旅館へやって来た。ちょうど、つげ義春の漫画に出てきそうな古びた湯治客のための温泉旅館だった。観光シーズンを過ぎてもいたし、もともと観光地と呼べるほどの土地でもなかったので客は彼一人だけだった。
 主人に案内され、薄汚れた、それでも一番良いらしい部屋へ落ち着いてはみたものの、心から落ち着く事は出来なかった。本当にこんな事であの「症状」から解放されるのだろうか?いや、それは決して望めない事なんだと彼には解っていたのかもしれない。
 その夜、食事を済ませて部屋のカーテンを開けたまま夜空の星を眺めている時にその「症状」が始まった。彼はあわてて肌身離さず持ち歩いているラジオのスイッチを入れた。
 「症状」は特に前触れもなく始まる。彼の周りにある全てのものが次第に薄れて見え始める。机が、蛍光灯が、窓が、そして窓の外の景色までが次第に消えて行くのだ。そして彼は気が付く。実は消えて行くのはそれらのものではなく、彼自身の肉体なのだと。
 初めのころはごくたまにしか起こらなかったが、次第に間隔が狭まり、最近ではほぼ毎日のようにその「症状」は現れた。
 ある医者が「ひねくれた現実からの逃避」だと言った事がある。その時は、何も言わずに席を立って帰ってきた。わかってもらえないのが悔しかった。
 「症状」がさらに進むと、今度は音さえも遠くなっているのに気が付く。現実の世界と切り離されようとしている危機感に彼は襲われる。しかし、さっきつけたラジオの音だけは変わりなく聞こえている。
 そのラジオは彼が学生時代に毎日聞いていたラジオだった。テレビを見るよりも、ラジオのパーソナリティーの声に、さまざまな話題に耳を傾けながら机に向かうのが好きだったのだ。今でも思い出すと懐かしくなるパーソナリティー達。彼の味気ない学生生活にそれは潤いを与えてくれた。
 彼は、もう自分の存在が意識だけになっていると思う。五感で何も感じる事が出来なくなっている。ただラジオの声だけが、耳に聞こえるのではなく、直接彼の意識の中へ入って来るのだ。ラジオの声によって、かろうじて彼は現実世界とつながっている。「症状」が終わるのを彼は感じる。そして、現実世界へと戻ろうとする。ラジオの声だけを頼りにして。ラジオの声がなかったら現実へ戻る事は出来ないと彼は思う。ラジオの声を、まるで一本のヒモをたぐり寄せるように注意深く引き寄せる。その先に現実世界がある。気がつくと肉体も、ちゃんとそこにあり、かれは部屋の中に座っているのだ。
 テーブルの上ではラジオが鳴っている。

 「症状」は次の日も、また次の日も彼を襲った。

 ある日、旅館の主人は、彼が食事の時間になっても起きて来ないのを不審に思い、部屋にもいないのを確認すると外へと探しに出かけた。これまで、彼が外に出かけたのは殆んどなかったのだが。
 主人は結局彼を見つけられずに再び旅館の部屋へ戻って来た。荷物はすべてそのまま残っていた。押し入れの中まで捜したが見つけられなかった。
 主人はテーブルの上にぽつんと置かれたラジオが目につき、それを手に取った。
 それはスイッチが入ったままで電池が切れていた。

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おわり







これも昔の作品を改稿したものです。

今回、原稿用紙に書くときの要領で書いてみました。
文章の始まりを一文字開けるという、普通に小説を書く時にするようにね。
なんだか、ガタガタしてる感じ。
やっぱり横書きには似合わないのかもしれないね。
次回からは元に戻します。

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by marinegumi | 2010-10-26 22:10 | 掌編小説(旧作改稿) | Comments(0)
「ねえ、これは誰?」
少年がそう言いながら差し出したのは、一冊のアルバムだった。
「ママと一緒に写ってるこの子、誰なの?」
母親は料理をしている手を止めて、少年の小さな指が指している一枚の写真を見た。四角く切り取られた空間には、メリーゴーランドやジェットコースターのレールを背景に、二人の人物。地面にしゃがんでレンズに笑いかけている彼女と、そのそばにぎこちなく、しかめっ面で立っている、まぎれもない少年自身と。
「何言ってるの?あなたでしょ。ほら、去年行った遊園地の写真でしょ?」
「あ、そうか!」という素直な返事を期待していたわけでは決してなかったが、少年の答えはあまりに意外だった。
「うそ。うそばっかり!僕に似ているけど、それは僕じゃないよ」
「何言ってるの?それは絶対あなたですよ。去年行った…」母親は同じ言葉を繰り返していた。
「そりゃ、今よりも少し小さくて、髪も長いけどそれは…」
「ほら、これも僕じゃない。これも違う」
「あなた、ほんとに覚えてないの?」母親は懸命に笑顔を作りながら話し続けた。
「これは、あなたが五つの時のよ。博覧会へ行ったのは覚えてる?これは四つの時に、海へ行った時の。水族館へ行ったのは…」
「覚えてるよ。博覧会も、海も、水族館に行ったのもね。でもそんな気がするだけなんだ。僕が本当に行ったんじゃない」
母親には少年が、単に思いつきで言っているのではない事が解った。長い間、頭の中で考えているうちに陥ってしまった妄想なのだ。母親は、その事を言い聞かせて納得させようと思ったが、食事の支度の真っ最中でもあったので、つい面倒になってしまった。
「さあ、さあ。もうやめなさい。今日はあなたのお誕生日でしょ?変なことばっかり言ってると、プレゼントなしになっちゃうわよ」
それっきり二人とも黙ってしまった。


親子三人そろって食事をして、誕生日のお祝いをした後も、少年は口数少なく過ごし、
早々と自分の部屋に閉じこもった。
部屋には、両親から贈られたきれいな包装紙に包まれ、リボンがかけられた大きな箱がある。少年はそれを開けようともせず、ただ見つめていた。

「この箱の中には僕と同じ顔の子供が入っている。同じ顔だけど、僕より一つだけ年上の子供が…」少年はそう考えていた。
「箱の中の子は出てくると、僕を殺して、僕にとって代わるんだ」
その箱は、大きいとは言っても、とても少年が入ってしまうほどには大きくなかった。せいぜい30センチ立方しかなかった。
「毎年、毎年、誕生日のたびにそんな事が繰り返されてきた。僕は一年前の僕にとって代わった。そうだ、僕は思い出したんだ。僕は一年前、僕を殺したんだ。そしてまた僕も今夜、あの箱の中の新しい僕に殺される」
「ここから逃げ出せば…」少年は考えた。逃げてしまえばいいんだと。しかし、この家を出たとしても、どこにも行く所などなかった。

急に少年は眠気に襲われた。どこかへ引きずり込まれるような異様な眠気。
時計は今まさに12時を指そうとしていた。
少年は睡魔に負け、ベッドに横たわる。さっきの食事に何かが入っていたのか?少年は薄れゆく意識の中で考え続ける。
「箱の中で動く音がする。出てくるんだ。箱を開けて、紙を破って次の僕が。今の僕より少し大きくて、頭がよくて、力も強い…」

バリッ!と箱の上側を勢いよく破って、青白い手が伸びた時、少年はもう完全に眠っていた。
手は、二の腕からひじまで、箱の中から伸びて行き、やがて…


父親が食事をしているところへ少年が現れた。
「おはよう、パパ」
すでにもう洋服に着替えている。いつもなら、いやいや起こされてパジャマのまま不機嫌そうな表情の少年しか父親は見た事がなかった。
「何だ、今日は?えらくちゃんとしてるんだな」
「そりゃそうですよ」母親が言う。
「一つ大きくなったんですものね」
彼女は、少年の顔を見てふと疑問を抱いた。少年の顔の左の目じりにあったはずのホクロ。それがなくなっている?
「いやいや」と思い直す。
「そんなもの始めからなかったんだわ」と。

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               おわり





かなり昔のものを書き直しました。
昔書いていた作品は、今書いているものと、かなり傾向が違っていましたね。
この作品はそんな中で、今書いているものに近いので、載せておこうと思います。

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by marinegumi | 2010-10-25 00:38 | 掌編小説(旧作改稿) | Comments(0)
秋田県藤里町立藤里小1年、米山豪憲君の殺害事件で殺人容疑で逮捕された無職畠山鈴香容疑者が県警能代署捜査本部の調べに対し、4月に水死した長女彩香ちゃん(同小4年)を4月9日、藤里町内の藤琴川にかかる大沢橋の上から突き落としたと供述していることが分かった。(2006年)


お母さんが、やさしそうな声で、橋の手すりの上に上がってごらんと言った。
前に来たときは、手すりから下を見ているだけで、あぶないよって注意されたのに。
わたしはこわかったので嫌だと言ったら、お母さんは急に、おそろしい顔になった。
何も言わずに、わたしを抱き上げて、手すりの上にすわらせたんだ。
それも川の方へ向かって。
ずうっと下の方には、水が流れている。
わたしはこわいので泣きながら、手すりにつかまった。
お母さんはその手をむりやりはなさせた。
お母さん。お母さん!やめてよ!
いくらさけんでもお母さんは何も言ってくれなかった。
両手がはなれた時、どん!と背中を押された。
体が“ふわっと”浮いたと思った。


逆さまに落ちて行く女の子の前に奇妙な恰好をした男の人が現れました。
女の子は、逆さまに落ちて行っているはずなのに、その人はちゃんとした顔の向きに見えて、女の子の目の前で話しかけます。
という事はその男の人も逆さまになって、一緒に落ちているいるという事です。
「こんにちはお嬢さん」
と男の人は女の子に声をかけました。
「こんにちは」
と、女の子は答えます。
そう返事するしかないよね、こんな時は。
「ぼくは『子供の味方』、ひろちゃんマンだよ」
女の子は困ってしまいました。
だって今は橋の上から川へ向かって落ちて行くのに忙しかったんだから。
とりあえず「よろしく、ひろちゃんマン」
と答えておきました。
そして、そのひろちゃんマンの服装をじっくりと見ました。
頭にかぶっている青いヘルメットは、よく見るとバケツなのでした。
プラスチックのバケツに穴をあけて顔が出るようにして、取っ手をあごひも代わりにしています。
着ている服は普通のTシャツにGパンだけど、マントを着ています。
そのマントにはアンパンマンの絵が描いてありました。
どうやらピクニックや運動会の時に下に敷いて座るレジャーシートというやつみたいです。
片方の足にはオレンジ色のゴム長。
もう片方は茶色い革の編み上げブーツ。
もう一度頭のほうに戻ると、バケツのヘルメットにはアンテナが、木琴のバチのアンテナが2本立ててありました。
彼は腕組みをしながら言います。
「見てたけど、きみはお母さんに突き落とされちゃったんだね」
「うん」
そう答えたとき、女の子は急に悲しくなって涙をポロポロこぼしました。
「でも大丈夫だよ、僕が助けに来たからね」
「え?」
「きみは落されそうになった時、誰かが助けに来てくれると信じたでしょ?」
「ああ…うん」
「そうなんだよね、ちゃんと信じてくれさえすれば、『子供の味方』の僕は助けに来れるんだ」
「そうなの?」
ひろちゃんマンはそこでちょっと悲しい顔になって。
「そうなんだよ。
この世界では、たくさんの子供たちがひどい目に逢っているよね。
何にも悪いことをしてないのに殺されちゃう子供がいっぱいいる。
そんな子供たちを助けるのが僕の使命さ。
でも、信じてくれないことには助けに行けないんだよね」
ひろちゃんマンはちょっと遠くを見る。
女の子は「わたしってホントに落ちて行ってるんかしら?」
とちらっと思った。
まわりを見るとちゃんと落ちているようだけど、なかなか下まで着きません。
「アリスだ!」
と、女の子は思いました。
「不思議の国のアリスに、こんな場面があったわ」
その本を読んでくれたのがお母さんだったことを思い出して、また悲しくなってしまいます。
ひろちゃんマンはまだしゃべっていました。
「それで、信じてくれたきみは、ちゃんと僕が助けに来ることができたんだよ」
「わたし助かるの?」
「うん、でもね、きみは助けてもらったお礼に、いつかまた、きみのようなかわいそうな子供を助けなければいけないんだよ。
僕もずっと前、他の『子供の味方』に助けられたんだ。
そして、誰かが僕に助けを求めて来るのを待っていたんだよね」
「それじゃあ、わたしが『子供の味方』になるっていうこと?」
「わかりが早いね君」

その言葉を聞いたとたんに、女の子の体はスポッと川の水の中に入りました。
水は冷たくはありませんでした。
水の中でも苦しくはありませんでした。
青い空を見ながら、川辺の木々の葉の緑を見ながら、女の子は流れて行きました。
仰向けになって、水の下10センチほどのところまで体が沈んだまま。

どんどん川幅が広くなり、周りの景色も変わってきました。
川の両側には、工場やビルなんかがたくさん並んでいました。
そして、女の子と一緒にいろんな物が流れています。
こつん、と頭に当たった物を女の子は手でつかみました。
目の前へ持ってくると、それは赤いプラスチックの植木鉢でした。
普通の植木鉢の形ではなく、半球形のかわった植木鉢でした。
「これなら、ひろちゃんマンのバケツより、ちゃんとしたヘルメットに見えるわね」
女の子はそれを頭にかぶりました。
しばらく流れて行くと、右のほうに黄色いものが見えました。
手を「うん!」と伸ばしてつかむと、それは小学生の通学用のレインコートでした。
胸元には「ごうけん」と、名前が書いてあります。
女の子はそれをマントにしました。

しばらく何も流れて来ないので、女の子はうつむきになって、川底を見ました。
するとそこにはいろんな物が沈んでいます。ブーツもありました。
やっぱり右左がそろったものは見つからないので、赤い長靴とピンクの長靴を、潜って行って拾い上げ、両足に履きました。
そして葉っぱのブローチを右の長靴に、ニコニコマークのカンバッジを左の長靴につけました。
もちろんどちらも川底に落ちていた物です。
壊れたラジカセのアンテナを取って、ヘルメットにつけました。
「木琴のバチなんかじゃなくて、本当のアンテナだぞ」
と、女の子は少し得意になりました。

「さあ、これでみんなそろったね」
女の子は、もう、いつの間にかいなくなってしまっているひろちゃんマンに言われなくてもみんな解っていました。
「もう飛べるはずだわ」
そして勢いよく水の中から大空へ飛び出したのです。
自分が行く所はあそこしかない事も知っていました。

流れて来た川の上をどんどん飛びすぎて、あっという間に大沢橋までやってきました。
誰もいないその欄干(らんかん)の上に腰かけました。
「そうなんだ、わたしは『子供の味方』になって、ここで助けが必要な子供の声に耳を澄ますの」
女の子の姿はもう子供ではなく、ちゃんとしたヒーロー(ヒロイン?)らしく成長していました。
ひろちゃんマンも、誰かに助けられた時はまだほんの子供だった。
そんなお話は、ひろちゃんマンはしてなかったけど、ちゃんと女の子には解っていました。

「ひろちゃんマンか…」
女の子は自分のヒーローとしての名前を何にするか、考えました。
「あやちゃんマン…?
女の子だよ、わたしって。[マン]じゃおかしいじゃん」
女の子は、欄干の上を行ったり来たりしながら考えました。
でもなかなかいい名前が思い浮かびません。
「まあ、いいか。ゆっくりと考えるわ…」
女の子は、また欄干に腰かけて名前を考え考えしながら、青い空を見上げました。

名前を考えつくまでは、悲しい目に合う子供が出て来ないように願いながら。

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おわり






ツイッター小説の発展形ではないショートショートです。

秋田のこの事件の報道を当時、毎日のように聞いてやりきれない気持でいっぱいでした。
腹立たしく思ったり、悲しみに襲われたり、さまざまな感情を抱いて、時間が過ぎ、今になってこんな形のお話になりました。
なんだろうねー
あの事件に対する気持ちの決着の付け方がこういうメルヘンチックな物になるのってなんか不思議で、ちょっと悲しい。

例によって、一気に書き上げて、校正もほとんどせずにとりあえずアップします。
何度も見直し、ちょこちょこおかしなところを直していきますよ。

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by marinegumi | 2010-10-15 22:03 | 短編小説(新作) | Comments(0)

電話の音  (3枚)

わたしの家のニ階のわたしの部屋から、彼の家の屋根だけが見える。
窓越しに、ずうーっと遠くに。
毎日わたしは、その彼の家の屋根をたくさんの家並から探す。
毎日探さないと、どれが彼の家かわからないほど、遠く、小さく、それは見えているんだ。

ある雨の休日。
その日は彼の家には誰もいないのが解っていた。
昨日、学校で彼が友達と話していたのを聞いたから。
家族で日帰り旅行に出かけるという事を、聞くとはなしに耳にしただけだけど。

彼の家の電話はコードレスホンで、子機が2台。
そのうち1台が彼の部屋にある。
なんて、想像してるだけ。

わたしは受話器を持ち上げて、遠く小さく見える彼の家の屋根を見ながら彼の家の番号をダイヤルした。
どうしてもかけられなかった番号。
呼び出し音が鳴る。
受話器から聞こえてくる小さな呼び出し音。

わたしは、まだ一度も入ったことのない彼の部屋を想像する。
わたしのかけている電話が彼の部屋の電話の子機を鳴らしているところを。
その音が彼の部屋の空気を震わせているところを。
彼が飼っているトイプードルを驚かせ、わずかに窓ガラスが共振しているところを。
電話の音が彼の部屋いっぱいに溢れているところを。

それだけのことだ。
それだけで彼の生活に、ほんのわずかでもかかわれたような気分になった。
たったそれだけで納得をして受話器を元に戻した。

静まり返る彼の部屋を想像する。
まるでわたしの部屋の空気が、彼の部屋とつながっているような気がした。



おわり





ツイッター小説の1本目を元にして書きました。

留守のはずの彼の家へ電話をかけた。呼び出し音が鳴る。まだ見たこともない彼の部屋の空気を震わせて、飼っている子犬を驚かせてベルが鳴っているのを想像していた。たったそれだけで彼の生活に少しでもかかわれたような気になって、ちょっぴり満足をして、電話をそのままゆっくりと元に戻したある日。


まあ、なんというか、ちょっとストーカーの素質がある女の子のお話ってところかな。

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by marinegumi | 2010-10-14 23:17 | 掌編小説(新作) | Comments(0)

自動販売機  (8枚)

アトマシン・シリーズ 1

はるかな外宇宙からやってきた「それ」は密度の高い気体の状態のままで空中を彷徨っていた。
「それ」は自分を生み出した「マスター」と共に、この星へやってきたのだが、彼らはもう遠くへ行ってしまったのを感じていた。
「マスター」の役に立つために作られた「それ」には感情はなかった。
だから、ささやかな手違いのために、置き去りにされた事を特に嘆いてはいなかったのだ。
「それ」の基本的な機能として新しい自分の「マスター」が見つかるまで、待機している状態だった。
自分を本当に必要としてくれる知的生命体が見つかるまで。

男はもう7日ほど砂漠を彷徨っていた。
友人達とのつまらない賭けのために、手作りの小型飛行機で砂漠を横断する羽目になった。
いろんな悪い状況を想像していたが、その最悪のパターン通りにエンジンが火を噴いて墜落した時は、まだ楽観的だった。
まさかの時のために、水や食料は歩いて砂漠を横断するには十分に用意してあったし、防寒着やテント、さらに高性能GPSや無線機なども積み込んであったからだ。
ところが、思ったよりも墜落の衝撃が激しくて、殆んどの機器は使い物にならないまでに壊れていた。
機器を点検しているうちに機体が火を噴き、水も食料もわずかに取り出せただけで、あとは焼けてしまった。

もう歩かないことに決めた。
あの悪友たちが自分を見捨てるわけがない、きっと助けに来てくれると信じていた。

だが、わずかの水はすぐに底をつき、男は何日も、ひどいのどの渇きに悩まされ続けた。
昨日まで、ほんの少しでも渇きを潤してくれていた唾液さえ出なくなってしまった。
毎日男はのどを潤してくれる、よく冷えた水や、コーラやコーヒーの事を考え続けた。
そう、あの冷たい飲み物がいっぱい詰まった魔法の箱、自動販売機の事を。

10日が過ぎたころ。
「それ」は瀕死の男の前に現れた。
いや、まだはっきりとした形はとらず、男の目には砂漠の蜃気楼のように見えているだけだった。
「それ」は男の脳波を分析し、何を望んでいるのかを探っていたのだ。
しかし、異星の知的生命体によって作られた「それ」がこの星の住人の求めているものを理解するには少し時間が必要だった。
「ジダウハンボウキ」と言う物がどう言う物なのかを分析するために「それ」は能力をフルに使った。
「ジドウハンバウキ?」
いや「自動販売機」だ。
その「自動販売機」という物の詳細な情報を薄れていく男の意識から割り出すのは大変な作業だったがなんとか「それ」はやり遂げた。

「それ」は男の目の前で、初めて形あるものに変化し始めていた。
白っぽい霧の集まりが赤くなって行き、四角く固まり始め、やがて真新しい自動販売機が砂漠の真ん中に姿を現した。

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今にも閉じようとしていた、男の目に映った物。
それを確認すると、彼は大きく目を見開いた。
あれほど求めていた物がそこにあったのだ。
しかも何度も朦朧とした頭で見た幻ではなく、その自動販売機は、ずっしりとした存在感で、そこにそびえ立っていた。

最後に残っていた力を振り絞って、男は立ち上がった。
ミネラルウォーター、深層水、グリーンティー、コーラ、ノンカロリーコーラ、ブラックコーヒー、カフェオレ、深入炒りカフェ、ストレートティー、レモンティー、レモン水、メロンソーダ。
どれでもお好み次第だ。
男はポケットに手を突っ込んだ。
「ない!小銭がないぞ!」
男はポケットというポケットを探りまわった。
そもそも、このチャレンジにはお金を全く持って来なかったのを思い出した。
一番欲しいものが目の前にあるのにそれを手にできない。
男は自動販売機を蹴りつけた。
壊してでも飲み物を手に入れようと思ったのだ。
しかし、体力を極端に消耗した男にはそんな力は残っていなかった。
「石‥」
男は石を探そうとあたりを見回したが、壊すための道具になりそうな石はなかった。

男はついに力尽き、その場に崩れ落ちた。
「それ」は最後に男が求めていた「小銭」という物の概念を理解するのに時間を取られてしまった。
「それ」を創造した主人の星では貨幣は存在しなかったのだ。

バラバラッと大量の小銭が倒れた男の上に降り注いだ。
やっと「それ」は、自分の一部を男の望んでいた「小銭」に変えたのだった。

その知的生命体が発する脳波が完全に途絶えるまで、「それ」は、自動販売機の形態を維持していたが、やがて次第に色を失い、透明になり、形が崩れて行った。
そして、蒸発するように空へと舞い上がると、風に乗って移動を始めた。
またどこかで知的生命体と出会い、彼らの望む時、その望む物に変身するために。

「それ」はそういうふうに、異星の主人によって作られていたのだった。




                      おわり




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11本目のツイッター小説の発展形です。

ツイッター版「自動販売機」
(1)砂漠の真ん中で遭難し、水もなくなり瀕死状態の男の前にそれは現れた。遥か外宇宙からやってきたそれは知的生命体の望む物、何にでも姿を変えられるように作られていて、瀕死の男の望んでいる物を彼の脳波から読み取ろうとしていたのだ。ジダウハンバイキャ?いや、ジドウハンバイキ?
(2)自動販売機と言うものの詳細をそれは男の薄れゆく意識から導き出し、自らが自動販売機に姿を変えた。目の前に今、最も望んでいる物が現れた男は、力を振り絞って立ち上がった。良く冷えた飲み物がそこにあった。ポケットに手を突っ込んだが、小銭がなかった。男はそのまま崩れ落ちた。


この作品も、書いてすぐ出しなので、細かい校正、修正はおいおいにやって行きます。
2度、3度見に来られる方は、前とちょっと違うな―ということがあるかもしれません。

なお、砂漠の自動販売機の写真は、2枚の写真をフォトショップで合成したものです。
まずこの写真を作ってから、小説を書き始めたんですよね。
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by marinegumi | 2010-10-11 22:41 | 掌編小説(新作) | Comments(0)
中学2年生の亜季と、ボーイフレンドの駿(しゅん)が交通事故のとばっちりで大怪我をしたのは、学校からの帰り道だった。
季節は十月。
香り始めたばかりの金木犀の木の下を歩いていた時だった。
道路のカーブで乗用車と接触した大型トラックが二人を巻き込んで大破したのだ。
駿は病院へ運ばれて間もなく死んだ。
亜季は手術を受けたが、こん睡状態のまま長い長い眠りに入ってしまった。



そして1年後。
亜季は病室で目を覚ました。
病院の庭にある金木犀がその香りをふりまき始めた十月だった。
その香りに誘われでもしたかのように亜季は眼を開いた。
病室には誰もいなかった。
しばらくして入ってきた看護師は、電動ベッドを自分で操作して、上半身を起こして座っている亜季を見つけて目を丸くした。

すぐに家族が呼ばれた。
みんな泣いて喜んでくれた。
でも、亜季は笑顔ではあったものの、あまり感動を示さなかった。
それというのも、まだちゃんとした記憶が甦っていないようだった。
特に事故当日の記憶は全くなかったのだ。
それでも、家族と話をしているうちに徐々に甦ってきていたのだが。

亜季は1年間意識がなく眠り続けていたので、足の筋肉は弱り、全く歩けなかった。
しばらくこのまま病院にいて、リハビリを受けることになっていた。
そのうち次第に事故当日のことが思い出されて行った。

金木犀の甘い香り。駿の笑い声と、笑顔。
突然の大きな金属音。急ブレーキの音。衝撃、そして暗闇。
あの時、駿は迫って来るトラックから亜季をかばってくれたのだ。
それをまざまざと、映像として思い出していた。
「駿は?駿はどうしたの?!」
病室に毎日来てくれる母親に亜季は聞いた。
「亜季!あなた思い出したのね。あの日の事を」
母親の目からは涙があふれた。
「つらいことだから、思い出さなければそのままでもいいと思っていたのよ」
「駿は……死んだのね」
お見舞いに来てくれた友達の顔を思い出して、その中に駿の顔がなかった事でそれを悟っていた。
亜季と駿は本当に仲が良かった。
お互いの家を行き来し、二人の両親がお互いに「二人は将来、まず間違いなく結婚するだろうね」と笑い合っていたほどだった。
その駿がもういない。
自分をかばってくれたために死んでしまった駿。
亜季はふと気が遠くなった。
「亜季、どうしたの?」
母親のその声が遠のいていくのが亜季には解った。
亜季は再び、眠りに就こうとしてたのだ。
その閉じたまぶたからはしばらく涙が流れ続けていた。



金木犀は今年もまた、十月になると香り始めた。
長い間忘れてしまっていた、ささやかだがとても素敵な記憶が甦るように、それは香り始める。

亜季が目を覚ますと病室には両親や兄弟、たくさんの友達の顔も見えた。
十月だという事が解った。
開け放った窓の外から、金木犀の香りが漂ってくる。
亜季がほとんど1年中眠り続け、毎年十月になると目を覚ますようになってから、もう6年が過ぎていた。
「おはよう亜季。また1年経ったよ」
と母親が寂しそうな笑顔で言った。

テーブルの上にはケーキにろうそくが20本立てられていて、父親が火をつけた。
「お誕生日おめでとう」とみんなが言ってくれる。
そしてハッピーバースデーの合唱。
ここ最近の何年かはケーキのある目覚めを迎えていた。
誕生日は十一月だったが、秋にちなんでつけられた名前の亜季にはふさわしい日だった。
まっ先に秋を感じさせる金木犀の香る十月。

金木犀の香りが目を覚ます引き金になっているのかもしれないというので、キンモクセイの芳香剤を病室に置いたりしてみた。
冷凍保存していた金木犀を、季節外れに亜季に嗅がせてみたりもしたがすべて無駄だった。
十月になって、金木犀が香り始めるまで、亜季は眼を覚ますことはなかったのだ。

家族や友人たちは、どうにかして亜季があの事故の記憶を取り戻すのを少しでも遅らせようとしていた。
そうなのだ、長い眠りから目覚めた時の亜季は、再び事故の記憶を失っていた。
そして1週間ほどで徐々に記憶を取り戻し、駿がこの世にいないことを知ると、また眠りについてしまう。
それをこの6年間繰り返していたのだった。
少しでも、1時間でも1分でも、その瞬間を先に延ばそうと、みんなは亜季のためにいろんな話題を持って病室へやって来る。

しかし、その瞬間は必ず来てしまう。
亜季が完全に目を覚まし、自分の人生を送り、心身が成長して行ければ乗り越えられるのかもしれない駿の死。
しかし亜季はそれに背を向けて眠りについてしまうのだ。

「1年間、どんな夢を見ていたの?」
と母親が聞いた。
亜季はしばらく、うっとりと眼を細めていた。
そして「覚えてないや……」と、みんなの方を見てほほえむのだった。

かなり肌寒くなっているのに、大きく開け放たれた窓からは、金木犀の香りが漂って来ていた。

a0152009_274011.jpg







昨日書いた10本目のツイッター小説を元にした作品です。

「ツイッター小説版」
金木犀は今年も十月になると香り始めた。彼女が目を覚ますと家族や友達の顔がそろっていた。「また1年たったよ」お母さんが言った。昏睡状態が続く彼女はなぜか十月の初めの1週間だけ目が覚めるのだ。金木犀が香り始める頃に。病室にはいつも金木犀の芳香剤が置かれている。でも、十月だけなのだ。


このツイッター版を書いていた時には思いもよらなかったドラマがあったんですね(って人ごとみたいに)
なんか、書いてると乗って来てついつい夜更かししてしまいました。

金木犀の花ことばを調べてみました。(書く前は知らなかったんですが)
謙虚 謙遜 真実 真実の愛 初恋 陶酔

おおー、ぴったりの「初恋」と言うのがあるんですね。

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by marinegumi | 2010-10-09 21:52 | 掌編小説(新作) | Comments(0)
ある夏の日の事。
その日は起きぬけから、なんだか頭が腐ってしまいそうな気分で、何もする気が起きなかった。
朝食もとらず、車を飛ばして誰もいない海にやって来て、砂浜のすぐ手前で停めた。
そのまま4枚のドアとバックドアを全部開け放すと、潮騒の音が僕を包んだ。

そうやって、やがて陽が落ち、暗くなるまでただ潮騒の音を聞いていたんだ。

あくる日から、仕事をしていても、なんだかあの潮騒の音が聞こえているような気がしていた。
そう、あんなに長い時間聞いていたんだから、耳に残っていても不思議じゃない。
そう思ってあまり気にもしなかった。

1カ月を過ぎる頃になっても、その潮騒の音は聞こえていた。
しかも、だんだん大きな音で聞こえるようになっていたんだ。
眠っていてもそれはずっと続いていて、夢は必ず海の夢を見た。
昼間、仕事をしていてもその音は止むことがない。
仕事の打ち合わせをしている時も、相手の声がかき消される事があるほどになっていた。

休日は、家にいて水色のソファーに身を沈め、一日中その潮騒の音を聞くようになった。
こんなに海から遠い場所にある家にいても、海にいるような気分でいられて、それほど悪い事じゃないように思っていた。

でも、どんどん大きな音になって行くのは止まらなかった。
人にも、よほど大きな声でしゃべってもらわないと聞き取れないほどになっていたんだ。

それで、妻に促されて、病院へ行くことにした。
もう少しだけ音が小さくなればいいな、と気楽に考えながら。

レントゲンを撮ってもらった後、写真を見ながらお医者さんの説明を聞いた。
 「ほらこれです。頭の中には海がありますね」
と先生は言った。
やっぱりそうだったんだ。
いつの間にか、頭の中には海が引っ越して来ていたんだね。

「先生は、脳腫瘍の疑いがあります、とおっしゃったのよ」と妻。
「そんな事言ってないよ先生は。ね、先生?」
「それでは、紹介状を書きますから大学病院でMRIの検査を受けてください」

「そうですよ、頭の中には青いきれいな海が広がっていますね」
と先生は言ってくれた。

 

                         おわり





ツイッター版はこれです。

ある夏の日。潮騒の音を一日中聞いていた。あの日から潮騒の音は頭の中に居座っている。それの音が年々大きくなるので病院へ行ってみた。「頭の中に海がありますね」とお医者さんは言った。先生は「脳腫瘍の疑いがあります」と言ったと妻はいうのだが「頭の中に海がありますね」ちゃんとそう聞こえた。


アイデアも何もないところから、とりあえず「ある夏の日」と書き始め、そこから書きながら考えました。
何にもアイデアがないときは「ある秋の日」とか、とりあえず一言書いてみるっていうのもいい方法かもしれないですね。



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by marinegumi | 2010-10-05 21:06 | 掌編小説(新作) | Comments(0)
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少年がひとり、ぽつんと取り残された砂浜。
波打ち際の湿った白い砂には、波が描いた曲線模様が現れてはまた消えていく。
休むことなく寄せては返す波の音。
その波のしぶきを巻き上げ、少年に叩きつける風。
そんな音の中で、少年の心は空白だった。
耳には届いていても、少年の心の中までは届いていないのだ。

何か少年には言葉にしたいものがあったはずだった。
いろんなことが頭の中で渦巻いていた。
そんな「何か」をふっ切りたくて、こんな砂浜まで少年はやってきたはずだった。
大声で叫びたかったのかもしれない。
でも、何と声にすればいいのか、言葉が思い浮かばなかった。
そしてそのまま無言で砂浜に立ち尽くしていた。
いつまでも。




少年が体を悪くして、都会の喧騒から逃れて、この海辺の町へやってきたのは、冬が終わろうとしていた頃だった。
長く暖かな春をすごし、やがて夏が始まる頃に初めてこの砂浜にひとりで遊びに来た。

何度か足を運ぶうちに、殆どの学校は夏休みに入っていた。
そんな夏休みに、親戚の家に遊びに来ていたひとりの少女と、その砂浜で出会ったのだった。

少年は石を投げて水面をジャンプさせるのが得意だった。
川へ行ったときは必ずそんな遊びをした。
波打ち際を見て、その事を思い出した少年は、石を拾って投げてみた。
石はひとつだけ跳ねて少々高い波に飲み込まれてしまった。
何度やっても川のようにはうまくいかなかった。

あきらめた少年は、今度は、砂浜に流れ着いた空き缶を拾い、岩の上に置いてかなり離れた距離からそれを狙って石を投げ始めた。
なかなか当たらなかった。
何度目かに石を投げた時、ずいぶんタイミングが遅れて空き缶は音を立てて倒れた。

「くすっ」という笑い声が聞こえた。
声のほうへ目をやると、一人の少女が石を弄びながら少年の方を見ていた。
「きみが?」
少年が聞くと、少女はもう一つ持っていた、握りこぶしほどのその石を海のほうへ投げた。
驚くほど遠くで、それは海に落ちた。
「ソフトボール部だよ」と少女は言う。
本当に健康そうな、生き生きとした笑顔だった。
「きみは、何かスポーツやってるの?」
「いや」
「だよねー、夏なのに青白い顔してさ。わたしの腕と、ほら、君の腕の色を比べてみてよ」
と、少女は少年の腕に自分の腕をくっつけて来た。
少年の腕のほうが、ずいぶんと白かった。
少年は思わず手を引っ込める。
「あ、ごめん。気を悪くした?」と、真顔になって少女が言った。
「いや、違うよ」
腕がくっついているのが気恥ずかしかったのだ。

それから二人はよく、一緒に遊ぶようになった。
決まってこの砂浜で。
少女は少年と同じ10歳だった。
絵が得意だった少年は、砂浜に棒で絵を描いたり、拾った石に絵の具で色を付け、魚やいろんな動物を描いては岩場の上に並べた。
「動物園だ!」と少女は言った。
「もっとたくさん描こうよ」

ある時は、少女が持ってきたボールで無理やりキャッチボールをさせられた。
少年は少女の活発さに圧倒されるばかりだった。

元気すぎる、笑顔が愛くるしい少女を少年は好もしく思っていた。
そして、その感情が何かまた別の感情に変化しかけているような、まどろっこしさにも気がつき始めていた。
夏休みが終わるにはまだまだ日があった。
しかし、少女が帰る日がすぐそこまで迫っていた。

「あした、帰るよ」と少女は言った。
「きみはまだまだこの街にいるんでしょ?」
「うん、そうだよ」と少年はぶっきらぼうに答える。
砂浜に並んで二人は腰をおろしていた。
「私が帰っちゃうと寂しい?」と足を抱えた日焼けした腕と髪の毛の間から、いたずらそうな目で見て言った。
「別に寂しくなんかないよ!」
少年は、思ってもいなかった事を口にしている自分に驚いていた。
「なんだと!」と少女は頬笑みながら少年の半ズボンから出ている足をつねった。
「寂しいって言え!」
「痛いよ、やめろってば~」
少女は何度も少年の足をつねる。
それも思いっきりだ。
少年はそれを手で払いのけるが、何度も何度も攻撃され、あまりの痛さに少女の両手をつかんで辞めさせた。
すると、少女の顔が目の前にあった。
そのまましばらく見つめあっていた。
少女の息遣いが聞こえる。
頬に付いたわずかの砂粒。
くっきりときれいな二重のまぶたに、すっとのびた濃いまつげ。
少年は少女を初めて見たかのように目が離せなかった。
少年がつかんでいた手を少女は一度離させて、今度は両方の手と手を握り合った。
でも、それ以上、二人とも、どうすればいいのか分からなかった。
二人とも、ほんの子供だったのだ。




少女がいなくなってしばらくたったある日。
少年は少女が遊びに来ていた親戚の家の前を偶然通りかかった。
あけっぱなしの家の奥から、女の人の電話の声が聞こえてきた。
「そうなの?それはかわいそうだったわね」
少年は、それだけを聞いてあの少女のことだと直感してしまった。
「しかたないわね…」しばらく無言。
「まだ、10年しか生きてないのにね」
少年も同じ10歳だった。
少年はそれだけの会話で、すべてを悟っていたのだ。

少年は砂浜へやってきた。
少女と遊んだ痕跡を何か見つけたかったのだ。
当たり前のように何も残っていなかった。
砂浜の絵はとっくに、波がかき消していて絵を描いた石は、波がすっかり絵の具を洗い流していた。

目を上げると水平線が不自然なほどまっすぐに続いているばかり。
何も見えない。
島影も、小さな船も海鳥も、何も見えなかった。

  体が悪いのは僕のほうのはずだった
  きみは誰よりも健康で、生き生きしていたと思っていたのに

  あのとき、僕はきみにキスをすればよかったんだ

と、少年は思った。
そしたらただの仲良しじゃなく、恋人になれたのかもしれないと。

少年は孤独だった。
生まれて初めて、本当に一人ぼっちなんだと思った。

しばらく砂浜に立ち尽くしていた少年は右手の人差し指を立てて、すっと上へ伸ばした。
水平線の上あたりにその指先で、大きな船の形を描いた。
するとそこには船があり、海を進んで行くのが少年には見えた。
船の次は、島を描いた。
空にはカモメを、アホウドリを何羽も描き加えた。
曇った空は青空に描き直し、お日さまを描き、海からはいろんな魚が顔を出し、ジャンプしているイルカや、潮を吹くクジラも描きくわえた。
少年にとって、海と空は1枚のキャンパスだった。

  こうやってたくさんの絵を描き加えていけば、もう寂しいなんて言うことはない
  もうちっとも孤独じゃない、一人ぼっちなんかじゃない

と、少年は思った。

少年は、さらに描き続けた。
描くものがなくなると、あり得ないものまで描き加えた。
空にはUFO、海からゴジラ、島の上には巨大タコ。
ありとあらゆるものを、思いつく限り少年は描き続けた。




少年は一人ぼっちだった。
やっぱりコドクなんだと思い知らされていた。
もうとっくに日は落ちて、あたりは真っ暗になっていた。
少年が描き続けた、たくさんの絵は、すっかり闇の中に葬られてしまっていたのだ。
自分の体さえ闇にすっぽりと包まれていた。

そして、潮騒の音だけが闇の中で、いつまでも聞こえていた。



                         おわり









はい、今回は、かなり古い作品を持ち出してきましたよ。
書きなおして、長さは原型の3倍ぐらいになっているのかな?

毎回そうなんですが、時々読み返し、表現がおかしなところを発見すると、その都度、書きなおします。
また、書き足したり、表現を変えたり、結構何回も手を入れますよ。


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by marinegumi | 2010-10-02 23:17 | 短編小説(旧作改稿) | Comments(0)

階段の怪談  (8枚)

電車を降りて、駅の改札を出てから、あかねの家までは歩いて15分ほどだ。
歩き始めたときはいつも同じ方向に帰る同級生や、OL、サラリーマンたちがたくさんいるのだが、まもなく急に人通りが少なくなる。
それは、駅とあかねの家までの道のりの、中間ぐらいに公団住宅が何棟も建っていて、ほとんどの人々がそこに吸い込まれてしまうからだった。

あかねはいつも急に心細くなる。
家に帰りつくまでたった一人だったこともめずらしくないのだ。
自然と足早に歩いてしまう。
あかねの家があるのは新興住宅街で、まだまばらにしか家は建っていない。
その先は広い空き地が広がっているだけ。
さらにその向こうは。
「ジャングルじゃん!」
と、初めてここに来たときは、思わずそう言ってしまったほどだった。
「あーあ、何でこんな寂しいところに家を建てたのかしら?」と、いつもの愚痴が出てしまう。
「高校を転校してまで引っ越してくる値打ちはなかったよねーわたしにとっては」

いつものコンクリートの階段が見えてきた。
建売の家と家の間にあるその階段を上がってしまえば、まもなくあかねの家だ。
上からは、その緑色の屋根が見えるはずだった。

この階段は13段ある。
あかねは最初にそれに気がついたときは少々いやな感じをもった。
不吉な数字。
どういう事で縁起が悪いといわれているのかまでは知らなかったが。

右足から上り始めて、いち、にい、さん、と心の中で数えながら上る。
じゅういち、じゅうに、じゅうさん!で右足が一番上の段にある。
いつもは。

そう、いつも右足から上り始めて、右足で終わるはずだった。
階段の段数は奇数の13段。
右足で終わらなければおかしい。
それが今日は左足で終わっていたのだ。
あかねの背中に冷たいものが走った。
10分以上速足で歩いて、けっこう体は暖かくなっていたのだが、一度に寒気を感じていた。
夕暮れ時。
暗くなりかけているこんな時間にあかねは階段の一番上で立ち尽くす。
なんだかこわい。
でも、数え間違っただけだと思いたかった。
それを確かめたくてしょうがなかった。
あかねは階段を2段づつ飛ばして下りた。
そしてもういちど上り始めた。
最初は右足から上り始める。「いち」
つぎは左足だよ。「にい」
今度は右足だね。「さん」
絶対間違えないように、慎重に十三を数えたとき、あかねの左足が階段の一番上にあった。
左足だ。
ありえない左足だった。

あかねは、駆けださないよう努力しながらことさらゆっくり家を目指した。
走り出したらパニックにおちいりそうだったのだ。
あかねは今まで何度この階段を上っただろう。
毎日必ず通る階段だった。
必ず右足から上り始めて、右足で13段目を勢いよく踏んできたはずだった。
それがなぜ?13段目が左足で終わるんだろう。
「ただいま‥」
「おかえりなさーい」と母。
彼女は料理をしている手元を見たままだったので、あかねが少し青ざめていたことには気がつかなかった。
あかねは家の二階への階段を上った。
なるべく数を数えないようにしながら。


「遠藤あかね!」
大きな先生の声でわれに返った。
まわりのクラスメイトたちがくすくす笑っている。
もう何度も名前を呼ばれていたらしい。
数学のテストを返してもらっているところだった。
あわてて教壇までまで取りに行くと、先生の顔がいやに険しかった。
「おまえ、わざと間違ってるのか?」
「え?何でですか?」そう言いながらテスト用紙を見た。
数学が得意なあかねにしては考えられない低い点数だった。
改めて自分の回答を見直したが、どこも間違ってるとは思えなかった。

「おまえなー、答えが整数の問題は、全部間違ってるぞ。
 それも、どの答えも正解の数より必ず「1」だけ少ないのはどういうわけだ?
 正解が解ってなきゃこんな奇妙な間違い方は出来んぞ!」

あかねは階段の一番上を踏んだばかりの左足を思い浮かべていた。

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はい、ツイッター小説の発展形ではないショートストーリーです。


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by marinegumi | 2010-10-01 00:41 | 掌編小説(新作) | Comments(0)