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花音 (17枚)

真っ暗な空の下、オレンジ色の街灯に照らされたスクールバスが家の前に止まるのが見えた。濃い霧がバスのヘッドライトの光線で放射状に照らされている。花音(かのん)はコートを羽織り、外へ出ると冷気に震えた。
「カノン」
家の前の庭を通り抜けようとしている時に隣のエーデルフェルト家の小さな男の子、ルカがドアを少し開けて声をかけた。花音の名前を呼んで無表情に手を振っている。これは毎朝の事だった。
花音が手を振り返そうとすると、彼の母親が何か大きな声を出しながらドアを閉め、ルカは見えなくなった。
ドアを閉める前に一瞬家の中で鳴っている音楽が聞こえた。クラシックで、花音もいつか耳にした事があるような旋律がわずかに聞こえ、すぐに閉ざされた。

バスに乗り込むと、いつもの顔触れがあった。同じ日本人学校に通う15人の子供たち。みんな一瞬の笑顔だけで花音を迎え、あとは黙ってバスに揺られていた。
朝の8時だと言うのにまだまだ空は暗く、バスの中から見る街は濃い霧に覆われ、いやな色の街灯の光線の中で、幽霊でも住んでいるようにしか見えなかった。
バスの運転手はこの国の男で、毎朝同じ国営放送のラジオを鳴らしていた。花音には、まだ少しも理解できない、異国の言葉のものさびしい歌を流している。

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日本人学校の教室の窓からは、ようやく明るくなり始めた空が見えた。しかし空は分厚い雪雲に覆われ太陽は姿を見せない。教室の照明は一日中点ったままになっている。午後三時を過ぎるとまた次第に明るさを失い、帰りのバスに乗る頃にはすっかり暗くなっているのだ。
花音と同じクラスの日本の子供たちの顔はこの国の蛍光灯の発色のせいなのか、青白く生気がなかった。彼らは殆どが花音より長くこの国に住んでいた。もうすっかりこの重苦しい冬に慣れているはずだなのだが、一様に表情がなく、休み時間になってもあまり会話もせず、静かに過ごしていた。十分に暖房がきいてはいたが、まるで屋外の冷たい空気の中で耐えているようにさえ見えた。

花音は日本の小学校で、いじめに遭っていた。
いじめられていた原因は、彼女の美しさにあったのかもしれない。生まれつき肌が抜けるように白く、髪の毛が少しブラウンがかり、きれいにカールしていた。クラスメイトの女子の中に混じるとその美しさが際立った。ハーフと言うわけでもないのに日本人離れした美しい面立ちだったのだ。
いじめの始まりは突然だった。
授業が始まり、国語の教科書を広げると、その日勉強するはずのページが真っ黒に塗りつぶされていたのだ。花音がそれに気づいて表情を変えると、教室のあちこちでくすくす笑う声が聞こえた。
ある日は、筆箱の鉛筆の芯がすべて折られていたり、またある時はランドセルの中に土が入っていたりした。

雨が降った冬の日の事、体育館で体育の授業の後、上履きで教室に帰って来るとレインシューズが無くなっていた。放課後、花音が上履きのまま帰ろうとすると、廊下の傘立てに彼女の傘はなかった。
みんな帰った後、花音は雨がやむのを待っていた。校庭の隅のなるべく屋根のあるところを通り、校門に近い体育倉庫の前まで来てその軒下で空を見上げた。上履きも靴下もすっかり濡れ、足は凍えていた。
空は分厚い雲に覆われて、雨は一向にやみそうになかった。
花音は何で自分がこんな目に遭うんだろうと唇を噛んで悔し涙を流した。その涙さえひどく冷たかった。
彼女はもう嫌だと思った。そして、倉庫の前を離れ、運動場の金網フェンスにもたれ、雨に打たれるにまかせながらその場に座り込んだ。
どれぐらいの時間そうしていたのか。急に花音の頭の上で青空が広がった。体が青い光に包まれた花音はそう思ったのだ。
まさかと思いながら顔を上げるとそこには同じクラスの純が立っていて花音に傘をさしかけていた。それは空色の傘だった。
「花音。風邪ひいちゃうぞ」
純はそう言いながら、自分を見上げる花音の澄んだ瞳に心臓がこくりとなるのを感じた。
「どうせならもっと早く来てくれたらいいのに」花音は涙と雨でぬれた顔を両手でぬぐいながら笑った。
花音がいじめられている時も、純だけはいつも他のクラスメイトと一緒になって笑ったりはしないのを彼女は知っていた。花音がひどい目にあっている時、純だけは唇を噛んで、眉をひそめるているのをちゃんと見ていた。
「もっと早く来てくれたら」と言うのは今日の事だけではなかったのだ。
ずっと前から純が来てくれる事を願っていたのだった。

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それからと言うもの、学校の休み時間は花音と純はいつも一緒にいた。
二人はクラスの中で孤独だった。純は花音に対するいじめを防ぐ事は出来なかった。いじめは続いたけれど、その事を純に打ち明ける事で花音は気が楽になった。
ノートが破られたら、純は自分のを貸した。机の上に泥水がかけられると、一緒に雑巾で拭いた。

ある放課後、花音が校舎の裏を通りかかると純がクラスの男子数人に囲まれていた。花音が駆け寄ろうとした時に、彼らは純を袋叩きにした後、花音のそばを通って帰ってしまった。すれ違いざま一人が捨て台詞を言った。
「おまえらもうキスでもしたのか?」
花音はハンカチで純の血のにじんだ額をぬぐった。
「ごめんね。わたしのせいなのね?」
「違うよ。おまえをいじめているやつじゃないよ。あいつらは僕らがいつも一緒にいるのが気に入らないだけさ」

そしてまたいつかの雨の日。昼休みに傘立てを見るとまた花音の傘がなかった。
純は教室の扉を大きな音を立てて開き、雨なのでほとんどの生徒がいる中で彼らに向かって言った。
「だれだ!花音の傘を隠したやつは!?」
ざわついていた教室は静まり返った。
「放課後までに戻しておかないと承知しないぞ!」
純の剣幕に、誰もしばらく黙っていた。あの純を袋叩きにした男子達さえも。
放課後傘立てを見ると骨が曲がり、ズタズタになった傘が戻されていた。
その日花音は純の傘で一緒に帰った。あの雨の日と同じ青い空色の傘で。
「おれ、おまえをずっと守ってやるからな」
と純は花音に対する自分の気持ちを確かめながらそう言った。
「花音、お前、親にはいじめられてる事を言ってるのか?」
花音は首を振った。
「やっぱりな。何で言わないんだよ」
「だって、おかあさんとおとうさん、心配するじゃん」
そのまま純は花音の家にやって来た。花音が学校での自分に対するいじめの事を両親には話していないと言う事を知り、いじめを防ぐ事が自分にはできないのを思い知り、花音の母親に打ち明けたのだ。
それが花音との別れにつながる事を思いもせずに。

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花音の父親は商社マンだった。
彼の勤める会社には、北海に面した小さな国に支社があった。その国は石油の産出国としても知られた北欧の国だった。そこに赴任する人員の候補の数人の中に父親の名前も上がっていたが、彼は受けるつもりはなかった。
だが丁度その時期に、純の話で花音がいじめに遭っている事を知った父親は学校側と話し合いを持った。そして花音本人の告白と学校側のいじめの調査の結果とのあまりの違いに不信感を抱いたのだ。
学校はいじめをなかった事にしようとしている。そんな感じさえ持った父親は、感情的になり、学校から花音を遠ざけるために、海外赴任を一人で決めてしまったのだ。
花音はともかく、反対する母親の意見にも耳を貸さなかった。
もっとも、母親はそれほど強く反対をしなかった。それというのも彼女にはこの「北欧」という響きに、ある種の憧れがあったからなのかもしれない。
しかし、彼らがやって来たのは暗く長い冬の始まる最悪の季節だったのだ。

窓ガラスが白く凍てつく日本人学校の教室。
花音が休み時間に自分の席に座っている時だった。床のきしむ音で目を上げると花音より一つ年上の浩樹が立っていた。花音は5年生、浩樹は6年生だった。このクラスは小学校5年生と6年生が一緒に授業を受けている。
花音と目が合っても浩樹は一瞬何も言わず、花音は自分がいじめを受けていた頃の事をふと思った。
鉛筆を折られる?ノートを破かれる?机の上に水をこぼされる?
でもそんな事はなかった。
「もう慣れたか?」と浩樹は一言聞いた。
「え?」
「この学校や、この街にさ」
花音はかろうじて笑顔を作った。
「だめだわ。寒くて暗くて、もう日本に帰りたい」
その時花音は純の笑顔を思い出した。日本と言う言葉は純に直結していた。ふと、泣きそうになった。
「俺さ、ここへ来てからチェロを習い始めたんだぜ。君も何か好きな事を始めれば?」
「そうなんだ?」
「君の隣の家のエーデルフェルトさん家(ち)の子供二人も一緒に習ってるんだ」
その時先生が入って来て午後の授業が始まった。

花音は3歳の頃からピアノを習っていた。この国へ来てからも続けて習おうという気持ちには全くなれなかった。「凍えてる」と、花音は思った。寒さで手の指が凍えてかじかむように、心まで凍えてしまったようだと。とてもピアノの事まで考えられなかった。

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何日か後の日曜日。花音は両親が買い物に出かけた後、自分は自転車に乗って家を出た。冷たい風で頬が切れるように痛かった。
走るうちに家屋が次第にまばらになり、通り過ぎる木々の間から海が見え始めた。
近くに海があるのを知ってはいたが、実際に見るのは初めてだった。寒く暗い押しつぶされそうな毎日から少しでも解放されたかった。
花音は「海」と言う言葉の響きに大きな開放感を感じていた。開かれたイメージを期待して花音は海へ向かって自転車をこいだのだ。
道を外れて広い草原をしばらく行くと突然草原は終わり、そこから先は絶壁になっていた。そして海が見渡す限り広がっていた。
水平線は確かではなかった。海と空の境がはっきりしなかった。空はどこまでも分厚い雲に覆われ、海は空の色をそのまま写している。
さらに冷たい風が吹きつけて、やがて細かな雪が降りだした。こんなに広い海と空が重苦しい灰色に染まり、花音を包み込んでいる。彼女を慰めるものは何もなかった。
花音はその場に座り込んだ。両腕で膝を抱えてそこへ顔をうずめた。
純に会いたかった。純の笑顔を思い出すと胸が締め付けられた。日本を出発する時に見送りに来てくれたのに、言葉は少なかった。おざなりな挨拶だけで、他には何も言えなかった。
今なら「好きだよ」と言えるのにと、花音は涙を流しながら思った。
そして何度もつぶやいた。
「好きだよ。好きだよ。好きだよ…」

ふと気がつくと、風がやんでいた。目を開けると自分の着ている白いコートがうっすらと青く染まっていた。あの雨の日、純がさしかけてくれた青い傘を思い出した。
まさかと思いながら顔を上げるとそこには青い傘があった。
いや、それは空だった。灰色の雲の花音の真上にぽっかりと丸く穴があき、青空が見えていたのだ。
それは最初のうちはいびつで、まだ穴と呼べるものではなかったが次第にほぼ円形に広がった。穴の中に残っていたわずかな雲も消え、しばらく花音の上で青い傘のように広がったのだ。

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やがて次第にまた雲が押し寄せ、空は全体が灰色に戻ってしまった。
花音は無意識のうちに立ち上がっていた。彼女はその自然現象に圧倒され、重苦しい気持からひと時解放されていた事に気が付いた。
「花音?」
と背後から名前を呼ぶ声がした。浩樹だった。
「今の見たか?すごかったね。雲に穴があいて、青空が丸く見えてただろ?」
花音はその青空がまだそこにあるように、見上げながら言った。
「まるで青い傘をさしかけられた見たいだった…」
「あー、うまい事言うね、花音」
「でも、どうしてこんなところに?」と花音は聞いた。
「車で君の家に行く途中に、君を見かけたんだよ。この先は断崖絶壁で危ないからって、お父さんに言われて追いかけてきたんだ。なんか自殺でもするような雰囲気だったしね」
「何言ってるの?」花音は笑い、浩樹をぶつ格好をした。
「でもどうして私の家へ?」
「まあ、何と言うか、遅すぎた歓迎パーティーと言ったところかな?さあ、行こうよ。今頃君のお父さんも、お母さんも、パーティーの買い物から帰ってると思うよ」
「そんなの聞いてないよ?」
「しまった。内緒だったのかな?」

浩樹の車に遅れて家に着くとみんな揃っていた。
浩樹と浩樹の弟と父親。お隣のエーデルフェルト家のルカとその兄のロベルト。さらに日本人学校に行っている女の子の彩夏の顔もあった。
賑やかな食事がしばらく進んだ所で、浩樹は立ち上がった。
「それじゃそろそろ始めようか?」
子供たちはみんなそれぞれに楽器ケースを開き、自分の楽器を取り出した。
浩樹はチェロだった。ロベルトはビオラ。ルカと彩夏と浩樹の弟はバイオリンだった。
「この曲は花音、君が来てから練習したんだぜ。タイトルは『パッヘルベルのカノン』て言うんだよ」と宏樹はいたずらっぽく笑った。
「カノン?」
「そう。花音のためのカノン」


しばらく曲を聞いてから続きを読みましょう

演奏が始まると、花音はその曲にすぐに引き込まれて行った。
そしてこの曲がエーデルフェルトさんの家から時々くぐもった音で聞こえていたのと同じ曲だったのに気がついた。
美しい曲だった。花音は日本の四季の景色を思い出していた。
特に春の桜の花の満開の景色だ。青い空を背景に薄いピンクの花が綿雲のように広がる映像が目の前に見える様な気がした。
そしてまた夏の海が見えた。どこまでも見渡せる青い水平線。潮の香り。
秋の紅葉に、どこまでも広いコスモスの大群落や一面のススキの高原。
雪の降る風景も思い出された。たまに降るだけの積もらない雪。その中ではしゃぎまわった小さかった頃。
そして純の事も思い出した。自分を守ってくれようとした純と、その純の象徴のような青い傘。あの青い傘は花音にとっては本当の青空だったのだ。
あの雨の日、上履きに雨がしみ込み靴下まで濡らし、凍えていた足の感触。純が級友に袋叩きに合った事。つぎつぎに色んな事が思い出された。
そしてさっき見たあの花音の上に広がった青空の一瞬の美しさ。あの小さな丸い青空を、純と肩を並べて見たかったと思っていた。
曲が終わると目を泣き腫らし、顔中涙でぬらした花音がいた。
「なんだよそれ。花音を元気にしようと思ってみんな頑張ったんだぜ。泣いてる場合じゃないだろ。顔、涙でぐじゅぐじゅだぞ」
と言いながら浩樹も涙ぐんでいた。
花音の母親も父親もまた、涙をこぼしながらも笑顔だった。

次第に日は長くなり、やがてこの小さな国にも必ず過ごしやすい季節はやって来る。
そして短いが、美しい宝石のような夏も必ずやって来るのだ。




おわり



トーナメント参加作品を書いたり、動画をアップしながら少しづつ書いていた作品です。
これを書いている途中にharuさんのブログにこの作品に登場する、雲に穴が開く写真がアップされました。

札幌の空に穴があいた/10月11日午後4時58分

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映像無断使用ごめんなさい

おおー、これは!と思いましたね。
何という偶然。
これはharuさんが自分で撮影された物です。
ホールパンチ雲と言う気象現象らしいですね。
僕はこういう気象現象がある事を知らず、あるんじゃないかなーと言う感じでお話に組み込む事にしていたんです。
実際にネットで検索してみるとその写真がたくさん出て来ました。

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by marinegumi | 2011-10-26 21:11 | 短編小説(新作) | Comments(6)

流れ (朗読)

かなーり昔。
全国の色んなラジオ局で放送されたショートショート朗読番組の中から自作の作品を公開しています。
今回の朗読は「ムーミン」のムーミンパパの声、「銀河鉄道999」のナレーション、「となりのトトロ」のトトロの声でおなじみの、高木 均さんです。
僕が初めて生で見た、大好きな別役実さんの舞台「ピクニック」にも出演してらっしゃいました。



この番組のためには27本書いたのですが、録音する事が出来たのは僅か7本。
そのうち1本は雑音がひどく、なんとか我慢してでも聞けるのは6本です。
順次公開したいと思います。




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by marinegumi | 2011-10-25 22:02 | 朗読 | Comments(2)

クロスワード (4枚)

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君と別れてからはどんな女の子と付き合っても、長続きしなかった。
今度の彼女とも3日前に別れたばかりだった。
それは君の事をまだずっと引きずっているからなのかもしれない。
新しい彼女に君の面影を求めている僕がいるからなのだろう。

彼女と別れたばかりの休日なんて、ただただ暇なだけだ。
時間をもてあまし、たまたまそばにあった雑誌のクロスワードパズルをしていた。
縦のカギの6のヒントは「牧場でのんびり草を食む」で、これは「うし」だ。
その「し」で始まるのヨコのカギの3番のヒントが「歌う」と言う短いヒントだった。
最初に思いついたのが「ソング」Songだった。歌うものを考えたのだ。
でもそれでは「うそ」になってしまう。「うそ」と言う鳥もいるが、牧場で草を食べると言うのは「うし」だろう。
それで、「シング」Singを思いついた。
「うそ」ではなく「うし」で正解だ。

その時、遠いあの日の事を、突然思い出した。

ドライブの途中、停めた車の中の二人。
外の景色は広々とした牧場だった。
別れなければいけない理由をたくさん並べたあとの君の横顔を見ていた。
君はほとんど聞き取れないほどのかすれた小さな声で言った。
「みんなうしだよ…」
と、そう聞こえた。
そう、牧場の柵の向こうにはたくさんの乳牛がいたんだ。
別れ話の後に何を言ってるんだと、少し腹を立てた僕はすぐに乱暴に車を出した。
しばらく一般道を100キロ近い速度で走った。
君が怖がるのがわかっていながら僕はそうせずには居られなかったんだ。
そのまま帰るまで無言だった二人。
最後の別れの言葉もなかった。

あの時の君の心が今、ようやくわかったんだ。
君は本当はこう言ったんだよね。
「みんなうそだよ」って。
迷いながらそう言ったんだよね。
たくさん並べた別れなければいけない理由なんてみんな嘘だと、僕に分かってほしかったんだね。
そんなたくさんの理由なんて僕に蹴散らしてほしかったんだと思う。
その事に何年も経った今頃、気が付いている僕には、後悔する資格もないよね。
君の方がもっと僕より辛かったんだ。
それに気がつかなかった僕はどこまで愚かなのだろう。

まだ始めたばかりのクロスワードのページを破いてゴミ箱に捨てた。
「うし」と「うそ」
あまりにもばかばかしい間違いだった。
笑い飛ばしたかったのに、涙がにじんでいた。



おわり



もともとはごく初期の(と言っても去年)ツイッター小説です。
「うし」と「うそ」を聞き間違えるなんて言うお馬鹿な冗談ぽい作品を、ちょっとマジに書き直してみました。

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by marinegumi | 2011-10-25 10:44 | 掌編小説(新作) | Comments(2)

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その1

小説家デビューしてから、三か月。僕は最近、ある小説雑誌のショートショート特集に作品を発表した。
その作品の最後の締めくくりの文章はこうだった。
『なんと彼はその時の恐怖体験によって一晩のうちに髪の毛が真っ白になってしまったのだった。』
その雑誌が発売になって一週間後、何気なくネットを検索していると、この僕の作品に対する書き込みが見つかった。
『いま時、一晩のうちに髪の毛が真っ白になってしまうなんて書く小説家がいるとはね。そんなことはあり得ないと言うのが、ちゃんと科学的に証明されてるんじゃね?』
『なんだこいつ。大昔の小説の受け売りだろ。』
『極度のストレスでそれ以後白髪しか生えて来なくなった、と言うのはあるらしいけどね。一晩はないない。』
ブログや掲示板で同じような書き込みが、わんさか出てくるわ、出てくるわ。見ているうちに腹が立って来たが、改めてじっくり考えていると、次第に不安が心にわだかまって行くのがわかった。
作家デビューしたばかりの僕がひょっとして、こんな作品を書いてしまった事で人気を落とし、作家を続けて行く事が出来なくなるのではないかと言う不安だった。

一晩中悶々として、朝起きて鏡を見ると…



その2

死と隣り合わせの恐怖を味わった男は、九死に一生を得て生還した。
鏡に映る自分の顔を見ながら、つくづく自分が生きているのが不思議だと思い返していた。
人は過度の恐怖を味わうと、一晩のうちに髪の毛が真っ白になってしまう事があるとよく言うが、あれは嘘だと男は思った。自分が味わった恐怖以上の恐怖があるだろうか?と。

男は数週間後に思い出すだろう。自分が髪の毛を染めていた事を。




おわり



「とんち・小噺ブログトーナメント」が開催されていますが、こういうのを思いついてしまいました。
複数の記事でエントリ出来るんじゃね?と思って書いて、いざエントリーしようとすると出来ませんでした。
やっぱりなー
でもまあせっかく書いたので、公開する事にしました。
「北京原人」よりはこっちの方が「とんち・小噺」っぽいんだけどなー

*そうだ、この手があった。
 というわけで、「北京原人」からこちらへリンクしました。

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とんち・小噺ブログトーナメント
第1回目の投票は10月27日からです。
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by marinegumi | 2011-10-24 02:03 | 掌編小説(新作) | Comments(2)

北京原人(2枚)

この作品はブログ村で開催される「とんち・小噺ブログトーナメント」に参加しています。
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とんち・小噺ブログトーナメント
第1回目の投票は10月27日からです。
ブログ村に登録してらっしゃる方は投票に参加してみては?



北京原人
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窓の外は桜が満開の景色。
新中学1年生の教室は歴史の授業中だった。
教壇には、これもまた教師1年目の若い美人の女性教諭が立っていた。
生徒たちが開いているのは教科書「中学社会/歴史」の一番初めのページ「人類の起源と進化」だ。
「つまり、北京原人もネアンデルタール人も今の私たちの直接の祖先ではないんですね」
女性教諭の声は、その美貌に見合った美しい声だった。

その時、教室の後ろの扉がガラリと大きな音を立てて開き、生徒たち全員が振り返った。
入って来たのは、今、教科書で見たばかりの北京原人だった。
大きなこん棒を担いでいる。
北京原人は胡散臭そうに生徒たちを見回していたが、女性教諭と目が合うと彼女に足早に近づいた。
一瞬、にたりと笑ったかと思うと、こん棒で彼女の脳天を一撃した。
倒れ込む彼女を受け止め、肩に担ぐと後ろの扉へ向かった。
生徒たちは北京原人が通り抜けるその扉の向こうに、うっそうと茂るジャングルを一瞬見た。
扉は閉じられた。
一番扉の近くにいた男子生徒が再び扉を開くと、そこにはただ廊下が続いているだけだった。

「あら?これ見て」
先日、学級委員長に選ばれた女子生徒が教科書を指差した。
北京原人の写真がさっきと変っていたのだ。
その顔立ちは今の人類に似て、目は知的な光を宿していた。


おわり


これはツイッター小説「扉が開いた」シリーズの中の一編を元にしています。
ブログ村の「とんち・小噺 トーナメント」に参加するために書き直しました。
最初書いた時は4枚あったのですが、小噺と言う事で、2枚にまで短くしました。
4枚バージョンを見たい方は下の「北京原人 (4枚)」からご覧ください。

もう2本、思いついたので書きました。こちら↓
「恐怖のあまり、一晩のうちに髪の毛が真っ白に」

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北京原人 (4枚)
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by marinegumi | 2011-10-20 22:38 | 掌編小説(新作) | Comments(2)

懺悔の時 (朗読)

この朗読はラジオ番組としてかなーり昔、放送された物です。
このブログにある「懺悔の時」はこの作品を元に書きなおしたものです。
朗読は、最近では「鶴瓶の家族に乾杯」などでナレーターを担当してらっしゃる、あの久米明さんですよ。
これはすごい事ですよね。



この録音があった事をほぼ忘れかけていました。
あちこち探し回り、MDにダビングした物を発見。
MDプレーヤーその物が家に無く、仕事場の倉庫から探し出してきました。
ムービーメーカーを使うのは初めてでしたが、なかなかおもしろかったです。

元の録音では、番組のタイトルと、作品の題、作者名(本名)、朗読者名が女性アナウンサーの声で紹介されますが、カットしました。
この頃は本名で書いていました。

ところでこのラジオバージョンを書きなおした、ロングバージョンの方をharuさんが朗読してくださったものがあります。こちら↓
懺悔の時/まりん組・図書係より 作 海野 久実 <朗読・動画>
こちらは13分あります。時間にして3倍ぐらい?長いだけではなく、聴きごたえがありますよ。


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by marinegumi | 2011-10-19 18:37 | 朗読 | Comments(6)

釣り道具の入った長いバッグを肩にかけ、木造の駅舎の外に出ると、田舎町は夕暮れ前だった。駅前の道路にはぽつんと、目的の旅館の名前を書いた車が止まっていた。
中をのぞいてみたが運転手の姿がなく、どこかに行ったのかと振り返るとすぐそばに男が立っていた。
「河田さんですね」旅館の法被を着たその男は無表情に言った。
「行きましょう」
私が後ろの席に乗り込むのを待って彼は運転席に座った。
「なんだ、今日は私一人なんだね?」
そう声をかけると、男はしばらく無言だった。さびれた細い駅前の道路を抜けて、広い県道に出てから彼は答えた。
「まあ、観光はそろそろシーズンオフですからね。今は釣りが目的の方ぐらいです」

しばらく県道を走って行くと左側を《死亡事故発生現場》の看板が通り過ぎた。二年前に来た時には気が付かなかったので、最近の事故かもしれないと思い、運転する男に聞いた。
「ああ、あれはもう5年前の事故ですよ。最近、過去に死亡事故があった場所にも看板を立てるよう町議会で決まっただけの事です」
そう言うと男は黙々と運転を続けた。
目的の旅館はこの県道を南に外れ、川のせせらぎや小鳥の声を聞きながら緑に囲まれた緩やかな坂道を15分ほど下った所にあった。それはとても気持ちの良い道のりだったのを思い出していた。
しかしその時と、同じ道に間違いはないのだが、いざ走り出してみると何となく二年前と雰囲気が違う気がした。少し開いた車窓から吹き込む風も陰気な感じで鳥の鳴き声もしない。
ただエンジンの音だけが響いていた。
空が曇っているせいかもしれないと思った。あの時は木漏れ日が気持ちよかったのだ。

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間もなく路肩に意外な物を見つけた。《死亡事故発生現場》の看板だ。
「こんな所で事故があったのか?」と思わず小声で呟いていた。
「ここは7年ほど前ですね」と、それを聞きつけた男が言った。
それからまた2~3分後にも看板が現れる。
《死亡事故発生現場》
そしてまた、そしてまたと、立て看板が次々と現れる事に私は言葉を失っていた。中には《転落注意》と言うなんでもない物もあれば、《自殺事件発生現場》と書かれたものまであったが、《死亡事故発生現場》が少なくとも5枚はあったように思った。。
バックミラーから私の様子を見ながら男は言った。
「まあ、あれですよ。この道は細くて見通しがひどく悪いですからね」

かすかに記憶にある古びた旅館の玄関先に、砂利を弾き飛ばしながら車が止まり、私は外に出た。
そしてその玄関に入って行く道の右側に看板があった。
《死亡事故発生現場》
心臓がどくんと一つ大きく打った。後ずさり、乗って来た車を振り返ると、男の姿はなく、窓ガラスが割れ、赤くさびて蔓草に覆われた廃車が生き物の死骸の様にそこにあった。
『県道からガードレールを突き破り、観光バスが旅館を直撃。旅館は火災を起こし死者8人を出す大惨事…』そういう新聞記事を見た記憶が蘇り、体に悪寒が走った。
あの事故があったのがここだったのか。
私はパニックに襲われそうな自分の気持ちを静め、今来たばかりの道を歩いて引き返し始めた。
最初は歩いていたもののいつしか持っていたバッグも投げ捨て、全速力で走り始めた。

間もなく闇に包まれるはずの遠い遠い道のりを。



おわり




この作品は「第9回ビーケーワン怪談大賞」に応募した作品です。
ブログに投稿すれば応募できると言う手軽さで参加してみました。
ところがうっかり応募した事を忘れていて発表をずいぶん過ぎてから確認すると入選はしていませんでした。

「第9回ビーケーワン怪談大賞」発表ページ

投稿版「死亡事故発生現場」

これは原稿用紙2枚以内という応募規定だったと思うんですが、原稿用紙2枚に一文字分も残すことなくぴったりになっています。
苦労して短く短くしましたね。
今回、その時の不満を解消できました(笑)

今、次の作品を書いている途中なんですが、ふと思い出して書き直し、即アップしてみました。

画像はコミックスタジオで作りました。
山道の写真に「死亡事故発生現場」の看板を二つ、ペタリと張って明るさを調整して出来上がり。


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by marinegumi | 2011-10-16 14:46 | 掌編小説(新作) | Comments(8)

ブログ村で開催されていた「袖にまつわるショートストーリーブログトーナメント 」で優勝しました。

牡丹と椿と金木犀 ―ぼたんとつばきときんもくせい―

とは言っても力作ぞろいで、どれが優勝してもおかしくない作品ばかり。
3回の投票が行われて、投票数が31票、14票、6票、と半減していくと言うのはどうなんでしょうね。
決選投票の少なさは(前回「エスカレーター」の時の投票数は3票)どっちが優勝するかは運だけじゃないかと思います。
決選投票の作品、ダメ社員さんの『袖引き小僧』はとても好きな作品でした。

袖にまつわるショートストーリーブログトーナメント - 本ブログ村
袖にまつわるショートストーリーブログトーナメント
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by marinegumi | 2011-10-14 08:33 | わたくし事 | Comments(12)

作品「牡丹と椿と金木犀 ―ぼたんとつばきときんもくせい―」が「本ブログ」カテゴリで、注目記事ランキングの2位になっていました。(現在は21位)
これは、1時間ごとに更新され、常に変動していますので、ひょっとして1位とかになっていたかも?
それはないかな?
まあ、「掌編小説」ではよく1位にはなりますが、これとはちょっと違ってすごい事なのかな?
「掌編小説」は「小説ブログ」カテゴリのサブカテゴリですから、ランキングに登場するのが1~2本しかなかったりするのですが、この「本ブログ」は大きなカテゴリなんですね。
1位から200位までの中で2位ですからねー
しかも僕はこの「本ブログ」には登録してないんです。
なのになんでランキングに登場するのかと言う事ですよね。

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参加中の「袖にまつわるショートストーリートーナメント」が「本ブログ」で登録しているので、その関係なんでしょうね。

そのトーナメントは、準決勝進出と言う事で、ちょっとドキドキ。(10月12日)

気が付けば何と、決勝進出と言う事ですね。(10月13日)
どうなりますか~
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by marinegumi | 2011-10-13 08:16 | わたくし事 | Comments(0)

「なつみ。お前の家なー、古い蔵があるやろ?」
この高校に入ってからずっと同じクラスの洋司がいきなりそう言いだした。昼休みの教室での事だった。
「あの蔵ん中、何かお宝が寝むっとるんとちゃうか?掛け軸とか、茶碗とか」
「何べんか入った事はあるけど、そんな大したもんあらへんかったわ。家がお店をしとった頃のガラクタばっかしやし。めちゃ古いレジとか、商品棚とかそんなもん」と、夏海は蔵の中の様子を思い出しながら答えた。
「いやいやー、徹底的に探してみたら金目のもんが出てくるかも知れへんで」
「なんやそれ。出て来たとしてもあんたのもんとちゃうやろ?」
「いっぺん探しに行ったろか?」
「やめてよ。テレビの鑑定番組の見すぎやわ」
学校での話はそれで終わった。

家に帰ると、ふとその事が気になっている自分に気がついた。洋司の言うようにお宝があるかもしれないとは思わなかったものの、小さな頃に遊びで時々入っただけで、もう何年も入った記憶がない、その蔵がなぜか心に引っ掛っていたのだった。
夏海の家は、京都でも古い町並みが残る場所で、広い敷地の隅に蔵だけを残し新しく建てられた家だった。二階の自分の部屋で机に向かいながらふと庭を見ると、黄色い花をつけた金木犀(きんもくせい)の向こうにその蔵は見えた。土壁はもうあちこちがはがれ、少しひずんでいるようにさえ見えるその蔵を、色着き始めた蔦の葉が優しく包んでいる。
宿題を片付け、台所に降りてコーヒーを入れ、飲み終わると庭に出て、それが当り前のように夏海は蔵の前に立っていた。蔵の扉にはかんぬきがあったが、それに付いていた南京錠は今はない。盗られて困るものはないと言う事だ。
中に入ると埃のにおいが鼻をついた。それだけで昔に戻った気がする不思議な空間だった。
開いた扉からの光で中を見わたす。中に置かれているものは骨董品と言うにはほど遠い物ばかりだった。祖父の代までこの場所で商売をしていて、それをやめた時に店を片づけたガラクタが押し込まれた格好だ。
見て回るうちに一番奥の方に、古い時代の鏡台や卓袱台や複数の箪笥などがあるのを見つけた。その中の一つの和箪笥の前に来ると、夏海は自分が気になっていたのはこれだった様な気がして、しばらくその前に立っていた。

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上から3番目の引き出しだ。他の引き出しには何も入っていない事がなぜか解っていたが、夏海は順番に開けて確かめた。そして3番目の引き出しから畳紙(たとうがみ)に包まれた着物を取り出した。紐を解き、古びてしみの出来た和紙を広げると、思わぬ色鮮やかな柄の振袖の着物が現れた。
夏海は迷わずそれを広げ、洋服の上から羽織ってみた。そうせずには居られなかったのだ。
たくさんの花の絵柄の着物だった。赤の地に牡丹(ぼたん)だろうか。繊細な花が流れるように描かれていた。しかし、右側の袖の部分だけが花の種類が違っていて、どうやら椿(つばき)らしい花が描かれていると言う変わったデザインだった。
夏海は鏡台があったのを思い出し、その前に立って鏡の幕を上げた。薄暗い蔵の中で鏡に映る着物を羽織った自分の姿。薄暗いながらもその着物の鮮やかさはよくわかった。
着物を足元から見上げて行き、ふと自分の顔を見て妙な気分がした。鏡のせいなのか、像が二重になっている気がした。いや、夏海以外の誰かの顔と夏海の顔が重なっている、一瞬そんな感じに見えたのだ。
あわてて着物をたたみ、畳紙に包みなおすと和箪笥に収めた。
蔵の外へ出るとそろそろ夕暮で、庭中の金木犀の香りにほっとした。蔵の中で感じたあの不思議な感覚が嘘のようだった。

それからも夏海はあの着物がずっと気になっていたので、ある日母親に聞いてみる事にした。
「赤い振袖の着物?あー、そう言えばあったわね。あんたのおばあさんの着物やよ。普通結婚してしもうたら振袖なんか着なくなるんやけど、よっぽどあの着物が好きやったんやろね」
「おばあさんて、どんな人やったの?」と夏海は聞いた。
「夏美は覚えてへんわな。あんたが二つの時に亡くなったんやさかい。おばあさんは、引っ込み思案と言うんやろか。気が弱いと言うんか、なんかおじいさんの影みたいに暮らしてはったわ。そうそう、それと言うのも、あの振袖や」
「振袖がどうしたん?」
祖母はこの家の一人娘だった。そして、商売を継がせるために養子をもらう話を親が決めたと言う。

でもなかなか祖母はその結婚に応じようとしなかったらしい。と言うのも、祖母の右腕にはやけどの跡があったのだ。それを気にして結婚することを長い間、ためらっていたと言う。
そのやけどの原因が振袖だった。
彼女が14歳の頃に買ってもらった振袖がうれしく、時々箪笥から出しては羽織り、鏡に映して見とれていたのだ。そんなある冬の事、また着物を羽織って鏡の前に立っている時、振袖に石油ストーブの火が燃え移ったのにしばらく気がつかなかったのだった。それで大やけどを負ってしまったと、夏海の母親は聞かされていたらしい。
「ああ、それであの着物は右の袖だけ花の種類が違うんやね」
「そう、そこだけ作り直したんやわ」
「でも、おばあさんて、お母さんと一緒やね。一人娘で、養子さんに来てもろた言うところ」
「ほんまやね」と、母親は笑った。
「ひょっとして夏海。あんたもひとりっ子になるかも知れへんなー。うちの家系はひとりっ子の家系なんやろか?」
「ちょっとー!わたしは弟が欲しいんですからね。イケメンの弟が」
母親は少し寂しそうに笑った。

それからもずっと夏海はその着物の事が頭の中にあった。
ある夜の事、再び蔵に入って箪笥から振袖を取り出していたのは、着物を見つけてから一週間後だった。
改めて見ると、古びて色の変わった畳紙には「京子」と名前が書かれていた。それが祖母の名前だった。真っ暗い蔵の中にランタン型の懐中電灯を持ち込んで振袖を羽織り、鏡台の前に立った。夏海は自分の行動に自分でとまどっていた。しかしどうしてもそうせずには居られず、その事に喜びさえ感じていたのだ。
そして、しばらく鏡を見つめるうちに、その鏡を見ているのは自分だけではない事に気がついた。鏡の自分の顔がにじみ、誰か夏海とよく似た女の人の顔と二重写しになっている感じがした。その人は、鏡の向こうから夏海を見つめているのか、それとも…

夏海は京子だった。

京子は自分の部屋にいて、鏡台の前で振袖姿を写してしていた。京子の中のわずかな夏海の意識の部分で、これは建て替える前の自分の家なのだと理解していた。
京子は琴の師匠の家で開かれた演奏会に出席し、今、帰って来たばかりだった。着物をすぐに着替えてしまうのがもったいなく思え、そうやってしばらく自分の振袖姿を見ていたのだ。
その時、裏庭に面した窓ガラスをたたく音が聞こえた。
目をやっても窓の向こうには誰もいない。京子は廊下から縁に出て庭を覗いた。蔵の向こう側に隠れながら自分を見ている人がいた。隆志だった。
京子は駆け寄ると隆志の手を取って、蔵の中に引っ張って入った。
蔵の中は真っ暗だったので京子は、箪笥の上に置かれた灯油のランタンに火を点けた。
「もう来んといて言うたやないの?」
揺れる光の中で、隆志は無言だった。
「あんたとはもう会わへん言うて約束したやろ?」
隆志は京子の手を握り、唇を噛んでいた。そして二人の手をじっと見つめている。
「忘れられへんのや」隆志はそう言うと手に力を入れた。京子の眼をまっすぐに見た。
「わたし、お父ちゃんが決めた人と結婚するんよ。もう決まってしもた事やさかい」
「しの!」隆志はそう言った。京子には一瞬それが「志乃」という女の人の名前かと思った。
「俺と一緒に死の!」隆志の声は震えていた。
「なに言うてんの?」京子は隆志を押しのけて外へ出ようとしたが右の袖をつかまれた。隆志は京子の肩を掴んで蔵の奥へと押して行った。
隆志は蔵の中の道具類を扉の前につぎつぎに運んだ。人が入ってこられないように、京子が外へ出られないように。
京子の中の夏海の意識がふわりと大きくなる。京子があまりに頼りなく、隆志にそれほど強く抵抗もしない事を不思議に思い、このままでは確実に死ぬことになるのではないかと言う恐れから夏海は京子の意識に負けないように自分の意識を強く持った。
隆志は蔵の中にあった灯油の缶から中身を蔵の床に撒(ま)き始めた。隆志は京子の腕を掴んで引き寄せ、缶に残った灯油で着物の右の袖を浸した。今はまだ牡丹の柄の右側の振袖を。
そして隆志はマッチを取り出した。
夏海は理解していた。おばあちゃんのやけどの原因はこれだったんだと。
「しっかりしなさい!」夏海は京子の声でそう叫んだ。
「人を殺して自分も死ぬんやて?!そんなの今時、流行らへんわよ!」と言うなり、隆志の頬を思いっきり叩いた。隆志はよろけて蔵の壁にぶつかって、そこに倒れた。
「ガソリンならともかくね、撒いた灯油に火が点くわけないでしょ?わたしが火傷するぐらいが関の山やわ!」
隆志はうろたえた。こんなに激しい京子を見たのは初めてだったのだ。すでに一緒に死ぬという決心は忘れられていた。
夏海は隆志に雑巾で、撒いた灯油を拭かせた後、道具類を元の位置に運ぶように言った。
その途中、隆志が運んでいた古い障子の角が燃えているランタンに当たり、それが床に落ちて割れたのだ。一瞬、火が床の上で燃え上がった後、炎は小さくなりかけたが、障子紙に燃え移ってしまった。
瞬く間に炎は大きくなり手がつけられず、二人は外へ出た。隆志は裏木戸から庭の外へ逃げ出し、京子は自分の部屋に戻った。家は商売が忙しく、まだ火事には誰も気が付いていない。京子は鏡台の前でうろたえていた。
京子は鏡に写る自分の顔を見た。夏海はこんな時に京子は何をやっているのかと、いらっとした。
その時、鏡の中の京子の顔と、夏海の顔が二重写しになり夏海と京子の意識がそれぞれに別れるのだと思った。
「お店に行って、蔵が火事だと知らせなさい」と、声に出したのか、そう思っただけなのか夏海には解らなかった。

夏海は夜の庭に立っていた。
振り向くと、そこには明るく蛍光灯の光に満ちた自分の家があった。家の方に数歩歩いて、自分が今いた場所を振り返った。そこにあったはずの蔵が嘘のように無くなり、ただ青々とした芝生と、様々な庭木がわずかな風に葉を震わせていた。金木犀の香りがひときわ濃かった。
「蔵…、燃えてしもたんや…」
夏海は羽織ったままの振袖を見た。右の袖の花の柄が変わっていた。元の牡丹の花柄に戻ったのだ。
匂いをかいでみたが、灯油の匂いはしなかった。

それから何日か夏海は考え続けた。ひょっとしてあの時の自分の行動で、歴史に何か変化を与えてしまったんではないかと。しかし蔵が無くなった以外には特に大きな変化はないように見えた。
祖母は火傷をしなかったはずだと言う事に夏海は思い至った。
母親は、祖母が火傷の痕を気にして結婚をしばらくためらっていたと言っていた。そうすると、火傷をしなかったならもう少し早く祖母は結婚していたのではないだろうかと。

さらに数日後。
夏海が高校から帰ると、見知らぬ女の人が応接間で母親と話をしていた。
「こんにちは」と夏海が言うと。
「あー!なっちゃん。大きゅうなったね」とその人が笑顔で夏海の手を取った。
夏海がきょとんとしていると母親が言った。
「大阪のおばさんでしょ?私の姉。まさかあなた、忘れたり…」
「そやかて、お母さんはひとりっ子のはず…」私が言いかけると。
「あー、そやそや。しばらく会わへんうちに、わたし太ってしもたもんね?」
その人は、がははは、と豪快に笑ってから、ふと真顔になる。
「そこまでは太っとらんちゅうねん!」
夏海はさらに大笑いするおばさんを、唖然と見続けるしかなかった。




おわり



どうも最近小説のアイデアが、浮かんでこないなーなんて思っていたのですが、そういう場合は初めに何かテーマを決めるのがいいようです。
テーマと言うほどのものでなくても、たった一言の言葉でもいいんですね。この作品は川越さんの「袖にまつわるショートストーリーブログトーナメント」に乗っかったもので、普段の僕なら到底ネタにするとは考えにくい「袖」という言葉だけから出発して書き上げたものです。
今回はそのたった一文字からどう言う物語が出来上がるのか自分でも興味深々でした。
これからはずっと、こういう方法で考えて行きましょうか。一つの言葉だけから連想して行き、お話に仕上げる。
これまでは、お話を考えるのは意外な物の組み合わせがいいだろうと言う事で、たとえば「電車」と「ぼたもち」みたいに二つの言葉から連想すると言う事をよくやっていました。
でも、その方法で「これは!」と言う作品は出来なかったように思います。
なんででしょうかねー
言葉が二つと言う事で気持ちが散漫になるからでしょうか?
これからは一つの言葉ですね。
実は「袖」と並行してお話を組み立てていたもう一つの言葉があります。それは「手首」でした。「手首」と言う言葉から何かお話をひねりだしてやろうと言う事で、頭の中ではほぼ出来上がっています。

「袖」と「手首」のこの二つの言葉は、最初からそれぞれ別々のお話を考えてやろうと、頭の中に置いていたものです。それが30分ほどの犬の散歩中に同時にお話になり始めて、一時ごっちゃになったりしながら、なんとか二つのお話の概要が出来たんですね。ちょっと不思議な体験でした。
次回アップするのは「手首」の方の作品になります。

えーと、今回はずいぶんタイトルに苦労しました。
いつもならすんなりと、なんとなくタイトルが出来てしまうんですが、記事を入力し終わって、画像も入れて、トラックバックも入れて、後は投稿ボタンを押すだけという段階に来てもまだタイトルが出来ていませんでした。
気に入らなければ後で変えてもいいやと思って、このタイトルになりました。
考えて見ると、良いタイトルかもしれません。
牡丹は春、椿は冬、その間の季節の秋に金木犀がある。なんてちょっと物語を象徴している感じですね。
「蔵の中から」「牡丹柄の振袖」「牡丹と椿」など、いろいろ考えましたが、どれも僕らしいタイトルではないなーと言う気がしたのです。


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by marinegumi | 2011-10-08 21:46 | 短編小説(新作) | Comments(9)