おばあちゃんが死んだ (8枚)

おばあちゃんが死んだ。
ここはおばあちゃんがくらしていた良夫おじさんの家の、ぶつだんのあるへやだった。
ふとんに寝ているおばあちゃんの顔には白いきれがかぶせてあった。
それはあついあつい夏休みのことだった。
しょうじもふすまもとっぱらい、がらーんと広くなった家の中はうす暗く、わたしは明るい夏の庭のゆれるヒマワリをおばあちゃんのふとんごしに見ていた。
ずっとずうっと、夕方になるまで、おばあちゃんのそばにすわっていた。
お日さまが沈んで、セミの声も少なくなるころに、近所の人が次々にやって来はじめた。
みんな黒い服を着て、おじさんやおばさんに、もぐもぐとひくい声で何かを言っている。
みんなそれぞれにざぶとんにすわって、ハンカチで汗をぬぐったり、うちわでパタパタ顔をあおいでいた。
「何をやってるんだろうね。まったく」
その声にふりかえると、死んだはずのおばあちゃんがそこに立っていた。
「皆さんに冷たいお茶でもお出ししないと」と言いながら台所の方へ入って行った。
しばらくすると、ガラスコップに入ったむぎ茶をおぼんにのせて、あぶなっかしい足どりで入って来た。
ガラスと氷のふれあう音がする。
近所の人たちの前におぼんをおくと「ごくろうさま」と言いながらたたみの上にすわった。
そしてわたしの方を見て、少し悲しそうな顔をした。
「おばあちゃん」わたしは小さな声で言った。
「おばあちゃんは死んでるんだよ。死んだ人がこんなとこに出てきちゃいけないよ」
おばあちゃんはうなずき、すなおにふとんに入った。
台所から出てきた洋子おばさんは、むぎ茶のおぼんをもったまま、もうみんながお茶をのんでいるのを見てふしぎそうな顔をした。
「みなさんご苦労様です」と、おぼんを横においてあいさつをした。
外がまっ暗になるころには親せきの人がつぎつぎにやって来た。
いとこのまきちゃんのお父さんと母さん。
遠くでくらしている、わたしのお母さんの方のおじいちゃんとおばあちゃん。
そして少し顔に見おぼえのあるだけの人や、わたしがはじめて見る人もざしきに上がってそれぞれざぶとんにすわっている。
そのたくさんの人の中に、ぶつまのかべの上の方にならべてある写真と同じ顔の人がちらほらと見えた。
よく見ると、その人たちの前にはお茶が出ていなかった。
おじさんやおばさんもその人たちにはあいさつもせず、ほったらかしだったので、わたしは台所へ行ってむぎ茶をコップに入れて、おぼんではこんだ。
そしてひげを生やしたえらそうなおじいさんの前に一つおいた。
「あかね。お前はよく気がきくね」という声がうしろからした。
おばあちゃんだった。
またふとんからぬけ出して来たんだ。
「おばあちゃんたら!」わたしが言うのをむしして、ひげのおじいさんとお話をはじめた。
「本当にお久しぶりです」と言いながらわたしの方を見た。
「ほらほら、他の人にもお茶をお出ししなさい!」
昔の人みたいなかみ形の女の人にお茶をさし出すと、にっこり笑ってあたまを下げた。
学生服に学生ぼうの男の人にお茶を出すと、両手を合わせて何も言わずに口へはこんだ。
そこでわたしは気がついた。
あの写真に写っていて、ここにいる人たちは、みんな死んだ人たちなんだと。
よく見ると写真の人だけではなく、近所に住んでいたおばあちゃんのお友達や老人会でいっしょだった今はもう死んでいるはずの人たちの顔もあるような気がした。
生きている人たち、死んでいる人たちが入りまじって、もうわけがわからなかった。
「あーもう、何やってるんだろうね」と言うおばあちゃんの声がきこえた。
「お茶だけじゃなく、お茶菓子ぐらいお出ししないと」と言いながら、また台所の方へ行ってしまった。
おかしを持って来て、みんなの前に置くと、今度はぶつだんの前を見た。
「座布団だよ、座布団。お坊さん用の座布団が出てないじゃないか」
そう言いながらおしいれをごそごそあさりだした。
りっぱなふかふかのさぶとんをおしいれからさがし出し、ぶつだんの前におくと、おばあちゃんはあたりをきょろきょろ見わたしてから言った。
「そうだ。ちゃんとお寺には連絡したんだろうね?」
おくのへやへ行こうとするおばあちゃんをわたしはとめた。
「おばあちゃんは死んでるんだから。自分のお通夜なんだから、寝てなきゃだめでしょ?」
ふとんの中におばあちゃんがいないのにだれかが気がつかないかとひやひやしながらそう言った。
「でもねー、頼りない子たちばかりだからね」
「だいじょうぶだってば。今はそういうのぜんぶ、そうぎやさんがやってくれるんだから」
「そうかい、そうかい。あかねちゃんがそう言うんじゃ、大人しくしてようかね」
そう言うとふとんに足を入れて、わたしのほうを見た。
またあの悲しそうな顔になった。
ゆっくりとふとんをひき上げながら横になると、自分で白いきれを顔にのせた。
わたしはたたみの上にすわって、しんせきの人たちのうしろでみんなのはなし声をきいていた。
ふと、わたしはわたしのお父さんやお母さんが来ていないのに気がついた。
おばあちゃんが死んだというのになんで来ないんだろうとおもった。
ひげのおじいさんが立ち上がると、すうっときえた。
学生服の男の人も、昔のかみ形をした女の人も、同じようにつぎつぎにきえた。
そのほかの写真の人たちがみんなきえたころに、おくのへやで電話がなった。
くぐもった良夫おじさんの声がきこえ、しばらくしてみんなのところへやってきた。
そして、立ったままふるえる小さな声で言った。
「今さっき、あかねちゃんが亡くなったそうです」
泣きだす人もいた。
「あかねちゃんて?」と、知らない人がきいた。
良夫おじさんが説明をする。
「おばあちゃんが川で死んだのは、おぼれているあかねちゃんを助けようとしたからなんですよ。あかねちゃんはまだ息があったので、病院へ運ばれて、一日以上生きていたんだけどね」
気がつくとわたしは病院のベッドにねているわたしを見おろしていた。
ベッドの反対がわに、目を泣きはらしたお父さんとお母さんが立っていた。
わたしのよこで、わたしの肩をだく人がいた。
おばあちゃんだった。
おわり
この作品はharuさんのブログ「ゆっくり生きる」の記事「夢の話」を元にharuさんの要望のもとに書きました。
記事はこちらです。
夢の話
これはharuさんの見た夢そのままを元に書いたショートストーリーです。
「夢の話」そのものは夢らしく不条理感いっぱいですが、その不条理感を損なうことなくショートストーリーにと言うのはどうも僕には無理だったようで、つじつまを合わせたストーリーになっています。
不条理を書くのは10年早いと言う事かもしれません。
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by marinegumi | 2011-08-31 23:11 | 掌編小説(新作) | Comments(14)
ただ、題材にどうしても使い古された感がありますね。自分だけ霊が見えるってのは、たぶんこの子も...と思わせますよね。『6センス』とか。
あと、次の箇所はいらないと思います。説明的すぎて、ちょっと興をそぐ感じです。
「そこでわたしは気がついた。あの写真に写っていて、ここにいる人たちは...生きている人たち、死んでいる人たちが入りまじって、もうわけがわからなかった。」
ご指摘ありがとうございます。
そうですよね。壁に飾ってある写真の人物が出て来たという事なら、死んでいる人なんだなと読者にはわかるだろうと思いつつも、判ってもらえなかったらどうしようと思って、後で書き加えてしまいました。
>生きている人たち、死んでいる人たちが入りまじって、もうわけがわからなかった
この部分は、奇妙なお通夜の雰囲気にボリューム感を出そうと思ったんですよね。
haruさんの元の文章に負けているかと思って。
ここで修正してしまうと、川越さんのコメントを読んだ人がその部分を探しても消えてしまってるので、勉強のためにそのままにしておきましょうか?
haruさんの夢のお話も面白かったけど
このお話は、作品としてとてもよく出来てます。
ちょっと切ないお話。。。大好きです。(笑)
海野さんの作品は
文章もわかりやすいし
細かい描写も無理がないし
最後にばっちり落ちているし
あぁ。。。こういうお話を私も書きたい!!!
って思っちゃいました。
本当に勉強になりました。ありがとうございます。
haruさんの朗読も楽しみです。

haruさんの夢も面白いな~と思ったけど、それをこんな素敵なストーリーに仕上げるなんてさすがです。
ラストには驚きました。
そうか…だからあかねには、おばあちゃんや死んだ人が見えたのね。だけどおばあちゃん、「こっちに来ちゃダメ」ってあかねを追い返してくれればよかったのにね。
…あ、これは私の希望です。現実は厳しい…^^;
私にはきついかなあって、ちょっと不安になったりして(笑)
あ、ひまわりの画像お借りしました。すすきの画像は夕日を見に
石狩へ行った時に撮ったものです。
朗読と動画に夢中になってとっても楽しかったです。ありがとうございました。
りこさんのコメントを読むと、いつもやる気になります。
ほめ上手?
ほめられて成長する子なのでありがたいです。
文章がわかりやすいと言う所は僕の長所でもあり、短所でもあるんですね。
判りやすくしようと、つい書き過ぎたりね。
判りやすい文章しか書けないと言うか、たまには難解な作品も書いてみたいのですが。
haruさんが朗読してくださるので、このタイミングで修正していいものかどうか、と思ってそのままにしておきました。
僕も、ここを見に来られる方も、小説の勉強中と言う事で、参考になる事もあるでしょうし、川越さんのコメントと一緒にそのままにしておきますね。
haruさんの夢そのままの方がシュールで面白いんじゃないかと思ったんですけどね。
思いついたのはあまりシュール感はなくて、でも、haruさんの朗読にはぴったりの作品のような気がして、一気に書き上げました。
そうですねー
>こっちに来ちゃだめだよ
って言われて助かると言うお話もよくありますよね。
でも、あの世にも厳しい掟があったのかもしれません。
いつもながら仕事が早いですねー
これで無理はしていないと言う事なら、相当作業に慣れていると言う事なんでしょうね。
さっき聞かせていただきましたが、感想はharuさんちで。

なんか競作ってなつかしいなあ。
自分だけで考えて作るより、うまく書けたりしますよね。
楽しいってのがあるんでしょう、多分。
おばあちゃんが死ぬっていうのが、いいですね。
この前、ボクもおばあちゃんが、死ぬちょっと前の出来事を
書いたんですけど、やっぱ死んだ方がお話としては
いいですね。
競作かなー?
共作の方がぴったりかもですね。
作・海野久実 原案/朗読/動画/haru かなー
そう言えば昔々、リレー漫画なんてのをよくやりましたね。
あのころは楽しくてしょうがありませんでした。
>おばあちゃんが死ぬっていうのが、いいですね。
うーん、やっぱりね(笑)
いやいや。
前に僕たちが書いたお話を読んだ人が、「安易に人を殺し過ぎる」と言う事を書いていました。
でもでも、僕たちが生きていくうえで、一番重大な出来事は人が死ぬと言う事なんです。
それを避けては通れないし、あえてそれを書かないようにと言うのは出来ないよなーと思ったものです。
人が死ぬと言うのは僕たちにとってとても身近な出来事で、大きな出来事なんだから、書くお話の中で人が死ぬのはそれはそれでそういうお話なんだからしょうがないよなー
と思っている今日この頃です。
ラスト、ちょっと涙ぐんでしまいました。
P.S.コメントは初めてかもしれません。よく読ませてもらっていましたが・・・。今後ともよろしくお願いします。
ありがとうございます。
あかねちゃんはおばあちゃんのお通夜の時には病院で、生死の間を彷徨っていたんですね。
ぼくは、haruさんの朗読で聞いたときに、冒頭の
>ずっとずうっと、夕方になるまで、おばあちゃんのそばにすわっていた。
のところで、自作ながら涙ぐんでしまいました。
親バカって感じですかね?
これからもよろしくお願いします。