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遠いかくれんぼ (13枚)

この作品はharuさんが朗読してくださっています。先に朗読から聞
朗読からのつづきは落ち葉の写真の下からです。
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わたしがまた、その病院に戻って来た時には、季節はすっかり冬になっていた。
前に入院していた時の病室は307号室で、廊下を挟んだ向かい側の326号室が今度のわたしの部屋になった。
ベッドに腰掛け、窓から外を見ると葉をすっかり落とした落葉樹の林が広がっている。
ドアを押し開け顔を出すと、しんと静まり返った消毒液の匂いのする薄暗い廊下が伸びていた。
「じゃんけんぽん」
小さな声が頭の中で聞こえた気がした。か弱いその声の持ち主の顔を思い出していた。


わたしが307号室にいた夏のある日の事だった。
つらい治療から帰ってきたわたしはベッドに横になり、小学校の国語の教科書を胸の上に広げて伏せたままぐったりとしていた。目を開けると、焦点の定まらないわたしの視線の向こうに小さな男の子の笑顔があった。半開きにしていたドアのすきまからのぞき込んでいたんだ。
その子は青い縦じまのパジャマを着て、大きな大人用のスリッパをはいている。わたしより五歳ほど小さいかなと思った。真ん丸な顔をして、はち切れそうな笑顔だった。
部屋に入って来ると横になっているわたしの目の前、鼻と鼻がくっつきそうなほど近くで言った。
「おねえちゃん、あそぼ」
小さなよわよわしい声だった。
「わ、わたし今ちょっと疲れてるんだ。また今度ね」少しどぎまぎしながらやっとそう答えた。
「いいよ。また今度ね。今度、何して遊ぶ?」
わたしは強い眠気に襲われ「かくれんぼでもしようか…」そう言いながら、男の子の返事も聞けないうちに眠りに落ちてしまった。

307号室の窓からは遠くに街並みが見えた。さらにその向こうに海が広がっていた。
たった今、看護婦さんが体温を測りに来て、注射をして出て行ったばかりだった。それを待っていたようにドアが開くと、昨日の男の子が入って来た。
「おねえちゃん、あそぼ?」

わたしたちは部屋を出て、屋上へ続く階段を上がった。そこは洗濯機や掃除道具や色んな物が置いてある塔屋だった。
「ようし。かくれんぼだね。じゃんけんに勝った方がかくれるんだよね?」
「うん!」男の子は本当にうれしそうに笑った。
「じゃんけん…」
その時、男の子の名前を呼ぶ声がした。看護婦さんとお母さんらしい人が上がって来た。
「だめでしょ?ちゃんと大人しく寝てなくちゃ」
男の子は手を引かれ連れ戻されていく間、ずっと下を向いていた。わたしは寂しくなっていた。
こっちを向いて「バイバイ。また今度ね」と言ってほしかったんだ。

それから何度もそういう事があった。
男の子が大人の目を盗んで病室を抜け出して来ては、かくれんぼをしようと言う事になる。でも、その子の病状は看護婦さんや両親はもちろん、入院している人みんなが知っていた。だからたいていは、じゃんけんをして、まだゲームが始まらないうちに大人たちに見つかり連れ戻される。
かくれんぼを一度も始められないうちに、いつのまにか男の子はわたしの病室に顔を見せなくなってしまった。

そんな事を思い出しながらわたしは海側の307号室とは全く違う窓の外の景色を見ていた。
男の子はあれからどうしたんだろう。しばらくしてわたしは退院する事になったので、その事が気になっていたけれど、どうする事も出来なかった。男の子は病気が治って退院したのか、それとも…。
その時、ストッパーで半開きになっている病室のドアの隙間から小さな手がのぞいているのが見えた。握られたその手がぱっと開き、つぎにハサミを作った。グー、チョキ、パーだ。
ドアがすうーっと開き、青いパジャマのそでが見え、あの時の男の子が立っていた。
「おねえちゃん、あそぼ!」元気そうな声で男の子は言った。
「ま、まだここにいたのね?」初対面の時と同じようにわたしはちょっとうろたえていた。
男の子はわたしの手を引いて廊下へ出た。そしてまた屋上へ続く階段を上がり、洗濯機の横でじゃんけんをする。
「じゃんけん、ぽん!」あいこだった。
「あいこで、しょ!」
「やったー!」わたしの勝ちだった。
「じゃ、わたしがかくれるわね」男の子は笑顔のままうなづいた。
「なにやってるの?」看護婦さんが立っていた。
男の子はひきつった顔になり、走って階段を下りてしまった。
「病気を治しにここに来てるんでしょ?ちゃんと病室でおとなしくしていなさいね」
看護婦さんは男の子がいなくなったので、わたしに向かって言った。

それからも時々男の子はやってきたが、前と同じようにすぐに誰かに見つかってしまい、なかなかかくれんぼは出来なかった。
わたしは、一向に良くならない自分の病気に絶望的になり始め、生きているうちに一度でいいから男の子とかくれんぼをしたいとまで思うようになっていたんだ。
そして、やっとその願いがかなったのは、秋の気配を感じる事が多くなったある日のことだった。

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その日は朝からなんとなくいつもと違っていた。それはたぶん新しい痛み止めの薬や、一緒に飲んだ薬のせいだったと思う。空は晴れるでもなく曇るでもなく、まるで夕暮のような光に満ちていた。病院の中もその光にあふれ、お医者さんや、看護婦さん、入院患者の子供たちも、大人の人もみんな穏やかな顔をして、その不思議な光の中で行きかっていた。
わたしはその頃には一日中ベッドに横になっている事が多くなっていた。目を閉じてはいたけれど痛みのため、眠れずにいた。
その時、目を開く前からわたしは、男の子がベッドの横に立っている事を疑わなかった。
「おねえちゃん、かくれんぼしようよ」と言いながら男の子はわたしの手を引いた。すると不思議な事に、自分が痛みもなく、少しも疲れていないのに気がついた。わたしたちは階段を上がり、塔屋から屋上へ出た。
「よーし!今日こそかくれんぼだ!」
「じゃんけん、ぽん!」
一度目でわたしの鬼が決まった。
「それじゃ、ちゃんと目隠ししてね。10数えるんだよ」と言いながら走り去る男の子の足音を、わたしは闇の中で聞いていた。
オニになったり、かくれたり、二人で交互に繰り返しかくれんぼを続けた。いつもわたしが男の子を見つけるのは難しく、わたしは反対に男の子にすぐに見つけられてしまった。

海の向こうから夕闇が押し寄せる頃、二人はやっとかくれんぼをやめた。階段を下り、廊下をかけて行く男の子。
「ばいばい。またね」そう言いながら向こうの角をまがった。

わたしが326号室に帰ると、看護婦さんが待っていた。いや、担当の先生や、隣の部屋の患者さんまでが一緒にそこにいた。
「どうしたの?みんないっしょに」わたしは聞いた。
「どこにいたの?」と看護婦さんが反対に聞き返した。
「ずっと探し回っていたのよ」
「屋上や塔屋やボイラー室で男の子とかくれんぼしてたの。それでもわたし、ちっともしんどくなかったのよ」
わたしが笑顔を作っても、みんなは無表情のままだった。
「いい?そんな男の子はこの病院にはいないのよ」
看護婦さんが何を言っているのか判らなかった。
「あなたが時々誰かと話をしたり、じゃんけんをしたりしているのを見たわ。でもあなたの前には誰もいなかったの。いつもね。それで私たちはそんなあなたを見ると、すぐにやめさせていたの」
話している看護婦さんのそばの壁に鏡が架かっていた。
その鏡には見知らぬ女の人が写っていた。
それがもう子供ではなくなった私だと言う事に気がついた時、この十数年間の私の記憶が一度に私の心を満たして行った。それと共に体に疲労感と、痛みが戻ってきた。
「いいですか?あなたがいつも言っていた男の子はもう十何年も前に、この病院で亡くなってるんですよ」
病室が現実感を取り戻し、消毒液の匂いが空気に満ちていた。


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(haruさんのブログからの つづき はここからです)

それからさらに何年もが過ぎた。
私は色んな病院を替わり、入退院を繰り返し、負けそうになりながらもなんとか病気と付き合って来た。そして今、あの青いパジャマの男の子と初めて会った病院の前に立っていた。
いや、もうそこは病院ではなかった。蔦の葉や雑木林にのみ込まれそうになっているコンクリートの建物。それは原因不明の火事で焼けてしまったあの病院だった建物の廃墟だ。
火事があった事をテレビのニュースで聞いてからも、すでに十年近くが過ぎていた。その建物を一度見て見たいと思いながらも、ずっと体の調子が悪く、最近やっと一人で外出が出来るようになったばかりだった。
私は雑草をかき分け、足元を走るトカゲに驚いたりしながら、建物の中に入った。
受付の前を通り、動かないエレベーターの前を過ぎ、診察室をいくつか数えて階段を上がり始めた。
建物の中は全てひどく焼けただれ、すすで真っ黒になっていた。診察の機器や色んな道具や家具類も熱で変形して、当時のまま残されていた。
3階まで階段を上がると、さすがに息切れがして手足や背中が痛んだ。その痛みでふと我に返り、自分は何をやっているのかと、馬鹿ばかしく思えて来る。でもそんな思いを無視するかのように、足は自然に307号室に向かった。
1,2階と比べるとこの階は殆ど焼けていなかった。それでも307号室のドアはなくなり、窓ガラスはすべて割れ、部屋の中まで蔦の葉が侵入しようとしていた。
ベッドはすこし斜めに場所がずれてそこにあった。私は自然にそれに腰掛けていた。
廃墟の中に一人きり。でも怖くはなかった。昼間だったし、窓の外には優しい日差しの中で、あざやかな緑の葉が風に揺れていた。
ベッドに腰掛けたまま私は右の手のひらを見た。
「じゃんけん…」と声にならない声で呟いたとき、私の前で小さな子供の手がひるがえるのが見えた。反射的に私は「ぽん!」と声に出していた。
顔を上げると、そこには誰もいなかった。ただ、壁にかかった割れた鏡が私を写していた。だいぶ白髪の増えて来た私の顔を。
さっきのじゃんけんは私の負けだった。私がオニになる番だった。
「もうかくれちゃったんだ?」そう声に出して、私は立ち上がった。
「もう探さなくてもいいよね?」
私は病室を出て廊下を歩いた。足どりはだんだん速くなる。そして階段を苦しい息で下り続けた。
もしも後ろで男の子の声が聞こえたら私はきっと悲鳴を上げただろう。

でもそんなことは起こらなかった。




おわり



haruさんの詩「かくれんぼ」を元にした掌編小説です。
haruさんの要望(めちゃぶり)で書くことになっちゃいました(笑)
この作品を朗読して下さるそうですが、朗読は原稿用紙にして、7枚ぐらいが限界と言っておられたharuさん。
ごめんなさい13枚(12枚半)になってしまいました(苦笑)
そこで、提案ですが、原稿用紙にして9枚ほどの所。

>病室が現実感を取り戻し、消毒液の匂いが空気に満ちていた。

ここで朗読は終わりにしてはどうでしょうか?
ちゃんと結末が付いていますからね。
で、あとがきに、「原作にはさらに驚きの展開が用意されています!」と書く。
haruさんのお客様がみんなこちらを見に来ると言うのはどうでしょう(笑)
ささやかなむちゃぶり返し!
長くなりそうだなと思い始めた時に、そういう遊びも面白いかなと思って、そこで終わってもいいように書きましたから、違和感はないと思いますよ。

川越さんのコメントを受けて、男の子が着ている「かすりの着物」を「青いパジャマ」に直しました。
臨機応変、優柔不断。
でもまあ納得の修正です。


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by marinegumi | 2011-09-21 01:24 | 短編小説(新作) | Comments(6)

Commented by 川越敏司 at 2011-09-21 08:35 x
近代的な病院にかすりの着物の少年とくれば。。。ああ~残念です。もう冒頭からオチまで見えてしまいました。でも、朗読されると、また違う味が出てくるものと思います。文章の方は無駄がなく、最後までいっきに読めて良かったです!
Commented by marinegumi at 2011-09-21 09:39
川越さんおはようございます。
なるほどねー。
そのへんはうすうす思っていたんですけどね。
haruさんの詩を尊重しすぎたかもしれません。
でもまあ、かすりの着物が重要なアイテムと言う事でもないので、ここは修正してみようと思います。
自分で書いて読み直しても、ひいき目で読んでいるんでしょうね。
人に読んでもらう事の大切さが判りました。
ありがとうございます。
Commented by haru123fu at 2011-09-21 14:42
読んでいて、涙がにじみ、あふれてポロリ。
海野さんはやっぱり凄いなあ!
これは、涙がこぼれなくなるまでなんども読んで、
それから朗読しなくてはなりませんね。

>あとがきに、「原作にはさらに驚きの展開が用意されています!」と書く。
いいですね。おもしろいです。(o^-^o)ウレシイデス☆
あ、パジャマでぜんぜんかまいません。事実パジャマを着ていました。
ただ、たぶんおばあちゃんが作ってくれたのでしょう、絣模様の紺色の着物を着て、嬉しそうに私に見せに来たのが、
とても印象に残って、その子=絣模様の着物を着ているという記憶が強くなったのでした。
Commented by りんさん at 2011-09-22 00:00 x
ホラーだけどあまり怖くない、切ない話ですね。
何十年も病気と闘っている女性と、幼い子供。
場所が病院なだけに展開は読めるけど、細かい描写と、最後に男の子を登場させなかったのがいいですね。
こういう終わり方は好きです。
Commented by marinegumi at 2011-09-23 00:59
haruさんこんにちは。
おおー、ついにharuさんを泣かしちゃいました?
今頃ひょっとして何回も何回も録音をし直してたりねー

>原作にはさらに驚きの展開が~!!

悪乗りにつきあってくださってありがとうございます。

ちょっと小説を書く事がおっくうになりかけていたのが、この作品を書いてからちょっと良い方向に向いてきたように思います。
このまま調子が上がっていけばいいんですけどね。
Commented by marinegumi at 2011-09-23 01:07
りんさんこんばんは。
僕は怖くないホラーが好きですねー
ロマンチックなSFと同じぐらい好きです。
透明感のある、人間の悲しみを描いたホラーがいいですね。

この作品の場合、この男の子は幽霊なんだろなーと思いながら読んでもいいような気がします。
本当にあった怖い話みたいな番組で、画面にテロップで「病院でかくれんぼする少年の幽霊」とずっと出たままお話が進行するみたいなね。
解っていてもついつい見ちゃうと。
そんな感じね。